「怒り」で失敗はサヨナラ|「怒り」を受け入れると人生は一変する

こんにちは。”伝わる”技術研究家のみさきです。

 怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる

またしても相撲界での暴力事件、しかも加害者が貴ノ岩であったことが世を驚かせました。

1年前には彼自身が暴力の被害者となり、つらい思いをたくさんしたはずなのになぜ、との多くの人の声も当然でしょう。

貴ノ岩は取材に対し、
「かっとなって殴ってしまった」
「自分がやられて悔しかったのに、自らが同じことをしてしまい、言葉がないです。応援してくれたファンや相撲協会を裏切るような形になった…」と消え入るような声で答えていました。

怒りの原因は、付き人が忘れ物の言い訳をしたから、というささいなものでした。

その結果は引退。

怒りの代償はあまりにも大きなものでした。

「怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる」

分かってはいても、どうにも抑えられないのが怒りの恐ろしいところです。

今回は、怒りで取り返しのつかない失敗をしないために、怒りとどう向き合えばよいか考えてみたいと思います。

怒りで失敗する人とは

怒りで失敗する人を端から見ているときは、自分の感情をコントロールできない未熟な人間、心の弱い人だ、とレッテルを貼り、自分はあんなことまではしないと思っています。

しかし本当に怒りの感情を抑えられないのは、心の弱い人だけなのでしょうか。

もう8年ほど前ですが、27歳の女性が自宅浴槽に長女(生後10か月)を投げ入れ、殺害しようとしたという事件が報道されました。

こんな内容でした。

「育児ノイローゼでまいっていた。子供が部屋を汚したのにカッとなった」とは、加害者である母親の声。

寝室にいた夫が”ドボン”という音を聞いて風呂場に行き、服を着たままうつぶせで浮いている長女をすくいあげ、110番をした。長女は無事だった。

私がこの虐待事件をよく覚えているのは、この事件について私の友人が言った意外な言葉に驚いたからです。

「人ごととは思えない、怖い事件だ」と言ったので驚き、どうしてか聞くと、彼女は育児ノイローゼ気味だった時期があって、その時のことを「彼女のようにカッと頭に血が上って、子供を邪魔だと思ってしまうことがあった。一瞬とはいえ、なんて自分は恐ろしいことを考えたんだろうと思ったことがあるから」と言っていました。

その話を聞いて、こういう殺人事件も決して他人事ではないのかもしれないと思いました。

どんな事件かだけを聞けば、「とても親だとは思えない」「酷い人間だ」と思います。

しかし、私も怒りでわれを失って言ってはならないことを言ったり、してはならないことをしてしまったりすることがあるので、「もしかしたら立場が変われば私だって、こんな事件を起こしていたかもしれない」と他人事とは思えなくなりました。

「怒り」で失敗しないためには、「怒り」を受け入れる

有名な古典『歎異抄』の一節に、
「さるべき業縁(ごうえん)の催せば、如何なる振舞もすべし」という言葉があります。

「縁さえくれば、どんな恐ろしいこともする」
「あのようなことは絶対しないとは言い切れないのが人間である」と言われた言葉です。

 貴ノ岩は被害者であった時に、まさか自分が同じ加害者になるとは想像していなかったでしょう。
しかし立場が変われば、怒りがこみ上げて、たちまち加害者になってしまうことがあると知らされる事件でした。

自分も事件を起こした人と同じような怒りの心を持っていますので、「あのようなことは絶対しないとは言い切れない」と自覚するべきだと思いました。

自分だけではない、相手もそういう心を持っています。

そしてその怒りで、私たちは時に恐ろしいことをしでかしてしまうことがある、ということをよく自覚すると、今こうして共に生活していることや仕事をしていることは決して当たり前ではないことが知らされてきます。

人間をよく知ることが、人間関係を育むのに大切だと説かれる仏教の教えが身に染みます。

仏教には怒りは誰の心にもあり、心の向きをどう変えていけばよいのかを詳しく教えられています。

こちらの記事もぜひお読みください。

→どうせなら「怒り」を「喜び」に転じてしまおう

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みさき

はじめまして、みさきです。 チューリップ企画で「動画で学べる仏教」を制作しています。 10年間、旅のプランニングの仕事を通して、幅広く多くの方々とお話してきました。旅には各々の想いがあり、じっくりとお話をしながら旅のお手伝いをしていきます。人と関わる中で人間関係で悩んでいる人が多いことを知りました。 8年前に仏教とご縁があり、人間の心についてずば抜けた洞察の深さに感動して、今の仕事に至っています。日常の悩みについて仏教ではどう教えられているかを発信してゆきたいと思います。
心が穏やかになった人へ
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