他力本願とはどんなことか|語源の仏教にあった本当の意味

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こんにちは、仏教10年学んでいます、龍慈です。

みなさんは『他力本願』と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。
他人がしてくれることを当てにする、他人任せ、というような意味を思う人が多いのではないでしょうか。
今回は他力本願の意味について書きたいと思います。

よく聞く他力本願の意味

お笑い芸人の上島竜兵さんはこんな本を出版されています。
人生他力本願 誰かに頼りながら生きる49の方法
2010年1月18日に出版された本で、なんと文部科学省推薦にも選ばれたそうです。
お笑い芸人の方って、パッと見では馬鹿馬鹿しいことをしたり、下品なことを行ったりやったり、程度の低い人と思う人もあるかもしれませんが、実際はそうでないと思います。
体を張って、多くの人に笑いという幸せを届けようという強い信念のもと私たちに笑いを届けてくれているのでしょう。
どのような本かというと、商品紹介にこのように載っています。

『これからの人生、主役を目指すだけじゃなくって、誰かに頼りながら生きていく「他力本願」な生き方でいいんです!』
2010年1月20日に生誕49歳を迎える上島竜兵が、49年間の人生で身につけた49の世渡り術!

一般に他力本願とはこの本のように「他の誰かに頼る」とか「他人任せ」といった意味で使われることが多いようです。
しかし、この他力本願という言葉の起源は仏教の教えにあり、一般に使われている意味とは全く違う意味の言葉だったのです。

仏教でいわれる他力本願の意味

仏教で他力本願とはどういう意味なのでしょうか。
他力とは、阿弥陀如来のこと。
本願とは、本当の願いのことです。
ではその阿弥陀如来の本当の願いとはどんなことかというと、「全ての人を本当の幸福にする」ということです。

本当の幸福とは

本当の幸福と言われても、「私は日々楽しく生きていますから、そんな本当の幸福なんて別に…」と思われる方もあるかもしれませんが、本当にそうでしょうか。

私は学生時代、生徒会を務めたり部活動でスポーツに取り組んだり、勉強もそこそこに、友達とも遊び、充実した日々を送っていました。
そんな私がよく口癖のように言っていたのが「何か楽しいことない~?」ということでした。
そのときはなんとも思っていませんでしたが、考えてみると、学校生活も順調で友人関係も悪いわけではなく充実して楽しいはずなのに、何か楽しいことがないかと聞いて探していたのです。
他に新たな楽しいことを求めているということは、今の楽しみではどこか満たされていないことがあるということです。
充実して幸せな日々と思いながら、なぜか満たされない気持ちになってしまいます。

家族や友人と旅行に行ったときは「この前の旅行、絶景を眺めて美味しいものを食べて温泉に入って…、あー楽しかった!また行きたいね」と楽しかったお土産話を語り合って盛り上がりますが、ふとカレンダーを見て「あー、また明日から仕事か…」とため息を漏らす人もあるでしょう。

楽しい時間はあっという間に過ぎてしまい、その時は幸福と感じていても、時間とともに薄れていってしまう、私たちの求める幸せにはそんな特徴があります。
そんな全ての人をいつでもどこでも喜び一杯、本当の幸福にするというのが阿弥陀如来の願いであり、それが仏教に教えられているのです。

まとめ

四字熟語にもなっている他力本願。その語源は仏教にあり、「全ての人を本当の幸福にする」という阿弥陀如来の願いが込められた言葉だったのです。

仏教で言う「他力本願」のもっと詳しい意味はこちらの記事へ
「他力本願」の誤解と本当の意味とは?|「他力本願」は他人まかせ?

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龍慈

チューリップ企画のタブレットのアプリ開発を担当しています龍慈(りゅうじ)です。タブレットを使っていただいているお客様とお話していると、喜ばれている方もあれば、こんなことで困っていると言ってこられる方もあります。 私も日々悩むこともありますが、いろいろな人に話を聞いてみると、案外同じことで悩んでいたり、解決方法が見えてきたりすることがよくあります。 お客様の喜びの声が、何よりも私の喜びであり原動力です! システム開発に止まらず、お客様みなさまのお悩みの解決に少しでもお役にたてるよう、情報発信していきます。
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