余命宣告を受けた人も「生きる意味がある」と教えられたお釈迦様
こんにちは。伝わる技術研究家のみさきです。
2年前からご主人の介護をされている70代の女性とお話する機会がありました。
ご主人が胃ガンと宣告され2年経ち、今は末期の状態だそうで、女性は意味のない思考が頭の中をぐるぐる回るばかりで不安だと言われていました。
私もお話を聞きながら亡くなった祖母を想い返され、この女性の気持ちが少しわかりました。
今回は、余命宣告をされた大切な人に、どのように接したらいいのか考えてみたいと思います。
家族の余命宣告には準備ができていない
余命宣告は、人生の終わりを設定されたようなものです。
いつかは死ぬ、と誰もが知っていますが、それは付け焼き刃な知識であり、身近な家族、あるいは自分が余命宣告を受けた時に初めて人は「死」にまじめに向き合うようです。
今年、映画化された『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った』には、作者がガン告知された母親との最期の日々の実体験が描かれています。
母親との別れの日は誰にでも必ず訪れる。
自分の母親だけは絶対に死なないものだとその時が来るまで根拠もなく思い込んでいたんだけれど・・・(原作より)
国内で毎日3000人以上の人が亡くなるそうです。
そのいくつかの見ず知らずの人の死が毎日ニュースで報道されますが、私たちはいつものことと受け流しています。
いつかはその3000人の中に自分の家族が入ることもあるのですが、まだまだ先としか思いません。
ところがそんな毎日の繰り返しに突然、家族の誰かの余命宣告を聞くことになるのです。
「まさか!」
想定外の事態に言葉を失う瞬間です。
自分の家族はずっと生きていられると錯覚しているから驚くのです。
家族も自分もちゃんと死ぬことを実感させられるのが余命宣告を受けた時なのです。
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余命宣告を受けた時からの生き方は
死にゆく家族を見守る側に立った時、解決の見えない様々な思考が頭から離れません。
・日に日に弱っていく母に、何もしてあげられない自分が辛い
・発作を起こした姉を見て、怖くて怖くて不安でたまらない
・衣類や写真など、身辺整理をする母に腹が立ってしまった
・治る見込みはなく、人工呼吸器で生きる父。早く死なせてあげたほうが楽なのだろうか
私は舌ガンだった祖母を、家族で3年程介護をしましたが、その時に考えさせられたのは「人生の最後に病気で苦しみながら生きる意味は何なのだろうか」ということでした。
祖母があと1年位と余命宣告を受けたその時は、祖母が喜ぶこと、家族で思い出を作ることをしようと考えました。
一緒にテレビを見て笑ったり、祖母の昔話を聞いたり、夏には祖母が好きだったかき氷を食べて過ごしたりしました。
ところがしだいに、自分で食事が取れず胃ろうで栄養補給をするようになり、呂律がまわらなくなり、ガンの痛みで時々涙を見せる祖母の姿を見ていると、人生の最後をどう過ごせば悔いがないのか分からなくなりました。
祖母の人生から、自分の生き方に迷いが押し寄せてきた感覚でした。
余命宣告を受けた人も「生きる意味がある」と教えられたお釈迦様
祖母の余命宣告をきっかけに「生きる意味」を知りたいと本やインターネットで調べるようになりました。
その中で心にストンと落ちたのは、仏教の次の言葉でした。
まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も我が身には一つも相添う(あいそう)ことあるべからず。
蓮如上人『御文章』より
(いよいよ死んでいく時は、今までたよりにしていた妻子や財宝も、すべて離れていってしまう。何一つ持っていくことはできない)
死に追い詰められてくると、これまで生きがいとしていた家族や仕事、趣味などの全てが夢のように儚いものだと示唆した言葉に感じました。
余命宣告を受け、病気で身体が弱くなってゆくと、今まで当たり前にできていたことができなくなり、死を待つだけになってしまう。
これが万人の行く先なら、なぜ人は一生懸命生きていくんだろう。
この根深い疑問がお釈迦さまの教えには繰り返し問題提起されていました。
お釈迦様は、この生死の一大事を解決して、人間に生まれてよかったと喜べる本当の幸福があることを断言された方と知り、もっと仏教を学びたいと思うようになりました。
お釈迦様が教えられたことを詳しくはお知りになりたい方は、こちらをご覧ください。
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みさき

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