「お盆」の由来からひも解く幸せに生きるヒントとは?

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こんにちは。みさきです。
仏教の類のない心の洞察に感動し、学びはじめて5年になります。

今週末からお盆休みをとられる方が多いと思います。
お盆には、父母や祖先を供養したり、亡き人を偲(しの)び仏法(ぶっぽう)に遇う縁となる行事があって、日本に浸透していますね。

お盆の名前の由来は、お釈迦さまの教えを書き残されたお経の一つ『盂蘭盆経』(うらぼんきょう)にあります。

お盆の由来「盂蘭盆」(ウラボン)の意味とは?

盂蘭盆とは、古いインドの言葉で倒懸(とうけん)ということです。
倒懸とは、「私たちの考えはさかさまである」という意味です。
さかさまな考えとは、「すべてのものは無常なのに、いつまでも続くと思っている」ことです。

「無常」とは、常が無いと書くように、“続かない”ということ、「常」とは、“いつまでも変わらない、今の状態がずっと続く”ということです。
世の中は変わり続けているのが真実なのに、私たちは「いつまでも今の状態が変わらない」と思い込んでしまうのです。

特に私たちが一番間違えているのは、「自分はいつ死ぬか分からないのに、まだまだずっと生きていられると思っていることだ」とお釈迦さまは教えていかれました。

いかに私たちが自分の死を受け止めていないか、それは人の死を見たり、聞いたりしたとき、「えっ!」と驚く姿にも表れています。

「盂蘭盆」(ウラボン)から知らされる生と死

私が最も驚いた死の知らせは、24歳の時でした。
ある朝、友人から電話がありました。
こんな早朝からなんの話だろうと電話を取ると、
「○○君が昨日、仕事先の飲食店の建物から転落して亡くなった!」
という知らせでした。
頭の中が一時停止したようで、すぐにはその知らせの意味を理解できませんでした。

その2日前に○○君を含め、数人の友達とカラオケに行き、盛り上がったばかりでした。
○○君には相談にものってもらい、ついこの間まで普段通りに話をしていたのです。
そんな彼が昨夜死んだとは、とても受け入れることができませんでした。
転落したのは仕事帰りによく行っていたお店で、知っている場所です。
気軽に会ったり話をしていた友人が、なじみの場所で亡くなったとは、とても信じられませんでした。
葬儀で彼の冷たく動かなくなった姿を実際に見るまでは、「ウソではないか」と心の中で疑っていました。

人はいつかは死ぬ

そんなことは分かっていると思っていた私が、身近な友人の死に非常に驚いたのです。

また毎日の通勤で歩く交差点で、車とオートバイの正面衝突事故を目撃したことがありました。
時速50キロは超えていたでしょうか。
オートバイに乗っていた人が空中に浮き、叩(たた)きつけられるように落下しました。
翌日の地元紙に、この事故の掲載があり、オートバイの人は亡くなったとのことでした。
この時も、すごくショックでした。

ニュースを見れば、
「ロンドンでワゴン車が暴走して、次々と歩行車をはね、7人が死亡」
「パキスタンで爆破・銃撃事件が起こり、54名が死亡」
など世界では毎日のようにテロや殺人事件が起こっていますが、そういうニュースをテレビで見ても、あまり驚きません。
「海外は物騒なところだな、日本でよかった」と思うくらいです。
衝撃度、事件性という点からいうと、転落事故やバイクの交通事故よりずっと驚いていいはずですが、「ふーん」と受け流し、「日本でよかった」と思うくらいです。

それよりも同じ年代の友人、日々の通勤の道で起きた事故の方がずっと後まで引きずる驚きでした。
なぜなのでしょうか。

「盂蘭盆」(ウラボン)からひもとく、幸せに生きるヒント

それは私たちが
「自分の周りの人はまだまだ死なない」
と思っているからなのです。

身近な人の死を見たり聞いたりして驚くのは、
「自分の周りの人も死ぬことがあるんだ」
と知らされた驚きです。

しかもさらに言えば、自分の周りの人の死に驚くのは、
自分も死ぬ存在なんだ
と気づかされる驚きなのです。

いつも通っている道で交通事故で人が亡くなったと聞くと、
「ひょっとしたら、私がここで死ぬということがあるかもしれない」
と頭によぎります。

80歳以上の人の死であれば、あの歳になれば死ぬこともあるだろうと思いますが、自分と同じ24歳の友人の死だと、「私もこの歳で死ぬことがあるのかも」とショックを受けます。

年齢や距離が近い人の死に驚くのは「私であってもおかしくなかった」という、自分自身の死を気づかされるからだと言われます。

無常を観ずるは菩提心の一なり

(仏教のお言葉)

仏教で「無常」というと、「死」を意味します。
いつ死ぬか分からない限られた命であることを意識してはじめて、人はかけがえのない命を大切に生きようという心が起きる
というお釈迦さまのメッセージです。

まとめ

私たちはまだまだずっと生きていられる、と思っています。
お盆の由来「盂蘭盆」(ウラボン)を通して、すべてのものは無常だと知らされます。
特に忘れてならないのは
私たちの命はいつ死ぬか分からない限られたものである
ことです。
お盆に亡き人を偲ぶことを縁として、人生を見つめてみてはいかがでしょうか。

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みさき

はじめまして、みさきです。 チューリップ企画で「動画で学べる仏教」を制作しています。 10年間、旅のプランニングの仕事を通して、幅広く多くの方々とお話してきました。旅には各々の想いがあり、じっくりとお話をしながら旅のお手伝いをしていきます。人と関わる中で人間関係で悩んでいる人が多いことを知りました。 8年前に仏教とご縁があり、人間の心についてずば抜けた洞察の深さに感動して、今の仕事に至っています。日常の悩みについて仏教ではどう教えられているかを発信してゆきたいと思います。
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