亡くなった人への真の供養とは|歎異抄の明答

九条えみ 九条えみ

こころ寄り添う研究家の九条えみです。

私は仏教月刊誌『とどろき』のお客様窓口として電話を受けています。

そのなかで71歳の男性から次のようなご質問がコールセンターに届きました。

教えて欲しい事があります。

追善供養をする事によって死んだ人はどうなるのでしょうか。

親、家内を亡くしていますが、念仏を称えないで死んだとなると死後はどうなっているのでしょうか。

亡くなった人は死後どうしているのかという疑問は、身近な人との死に接すれば誰しも抱くことだと思います。

それが、大恩ある親や、長年連れ添った伴侶、可愛いわが子ともなれば、亡くなった後に苦しんでいないか、残された私にできる供養はあるのかと真剣に悩まれるのも当然です。

亡くなった人への真の供養

平成29年8月号『とどろき』ではお盆特集が組まれました。

そのなかで、亡くなった人への真の供養についての記事がありました。

 

最後に、亡き人の真の供養について『歎異抄(たんにしょう)』五章のお言葉を紹介しましょう。

ただ自力をすてて急ぎ浄土のさとりを開きなば、六道(苦しみの絶えない6つの世界。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界をいう)四生(一切の生物のこと)のあいだ、いずれの業苦(ごうく)に沈めりとも、神通方便をもってまず有縁(うえん)を度(ど)すべきなり、と云々

(現代語訳:ただ、はやく本願を計ろう自力の心を捨てて、浄土で仏のさとりを開けば、どんな六道・四生の迷いの世界で、苦しみに沈んでいようとも、仏の方便力(仏が苦悩の人々を、真実の幸福に導く力)で縁の深い人々から救うことができよう、と聖人は仰せになりました)

すでに世を去った人たちの中には、浄土に往生している人もあるでしょうが、仏縁に恵まれず、苦しみ迷いの世界でさまよっている人も大勢ありましょう。

だが、たとえどのような苦界にいても、今生きている私が真剣に仏法を聞いて絶対の幸福になれば、来世は浄土で仏となり、その神通力(人間の考えの及ばぬ、霊妙自在の力)をもって、いかなる世界にいる人をも真実の幸福に導き、本当の幸せに救うことができるのです

平成29年8月号『とどろき』より)

ご質問をいただいた男性にも、歎異抄第五章のお言葉を説明し、大変喜ばれていました。

「死んだ人は助かっていなくても、私が仏になって一番縁のある人のもとへ行って、真実の幸福に導き、助ける事ができるんですね。」

亡くなった親や妻を助けたいとの思いから、この方は続けて仏法を学ばれています。

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九条えみ

九条えみ

こんにちは、九条えみです。会社では主に電話でのお客様サポートや、仏教月刊誌『とどろき』の朗読版に声を吹き込んでいます。生まれた時からニコニコしていたらしく、母につけられたあだ名は「ころニコ」お餅が笑っているような赤ちゃんでした(笑)心の機微に関心が強く、相手が望んでいる言葉は何だろうか?と自然と考えるようになっていました。感受性が強いのか繊細さに悩むこともありますが、 モットーである「笑顔」と「言葉」を軸にして、同じ悩みを持つ方に寄り添うような記事を書きたいと思います。音楽、オシャレ、効率化が好きです(^^)♪
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