子が親から受ける「最後の教育」について考える
こんにちは。仏教を学び始めて6年目のみさきです。
最近ある方と食事をする機会があり、その方のお父様が仏教を熱心に学ばれていたと聞き、意気投合しました。
その方から聞いた「親からの教育」の話が、大変心打たれたので、紹介いたします。
親から受けるさまざまな人生教育
お父様は昨年、他界されたそうです。
その方は「父親からの最後の教育だった」と、しみじみと語られていました。
考えてみれば、私たちは生まれたときから親からずっと教育を受けて育ちますよね。
しゃべる、言葉を覚えるというのも親の会話を通して習得しますし、読み書き、また生活上の食事、料理、洗濯、掃除……すべて親のやり方から学んでいきます。
仕事をすることの厳しさや責任感も、親の背中を通して学びます。
やがて親が歳をとっていくと、人間は老いていくということ、病気の深刻さも、親から学びます。
親から受ける最後の教育とは
ずっと親から学んできた私たちが最後に親から受ける教育が「死」だ、という知人の言葉が心に刺さりました。
「人は必ず死ぬ」
誰でも知っている、当然のことです。
しかしそれは、付け焼刃(やきば)のにわか知識です。
親が死ぬときに、人は初めて本当に「死ぬのはどういうことか」切実な現実を痛烈に知り、私たちは「死」を学ぶのです。
人生は有限だった。
自分もいつか死んでいく。
この限られた人生、一体何に使えば良いのか?
何をしたら死んでも満足がいくのか?
様々な思いがぐるぐると頭を巡ります。
親からの「最後の教育」のメッセージとは
800年の古、浄土真宗の開祖である親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、4歳の時にお父さんを亡くされ、杖とも柱ともしていらしたお母さんを8歳の時に亡くされました。
一体、お父さんお母さんはどこへ行ったんだろう?
次に死ぬのは自分の番だ、死んだらどうなるのだろうか?と、真剣に考え込まれ、その解決を仏教に求められました。
仏教に「無常を観(かん)ずるは菩提心(ぼだいしん)の一(はじめ)なり」という言葉があります。
「死を真面目に見つめることは、本当の幸せになりたいという心の第一歩である」と、お釈迦様は言われています。
まとめ
どんな人も必ず最後は死ぬ。誰でも知っていることですが、家族や自分は当てはめられないものです。
元気なうちは「死」を考えることは悲観的に思いがちですが、「死」を考えてこそ、幸せな人生を送るための選択ができるようになるのだと思います。
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みさき
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