ギブアンドギブの意味は?|ギブアンドテイクよりギブアンドギブを!
こんにちは、暮らしを良くする研究家のこんぎつねです。
突然ですが、問題です!
あなたは知り合いからリンゴを5つもらいました。
1人では食べきれないので友人に1つあげました。
リンゴはいくつになったでしょうか。
答えは4つ。小学1年生でも解ける問題ですね。
ですが、答えは6つだという人がいます。
「リンゴをあげた友だちが後日お返しをくれるから5-1じゃなくて5+1だ」というのです。
ギブアンドギブという言葉があります。
どういう意味かといいますと、ギブアンドテイクは「与えて、そしてもらう」ということですが、ギブアンドギブは「与えて、そして与える」ということになり、ただ与えるだけです。
「このリンゴあげるから代わりに何かちょうだい」はギブアンドテイクですが、「このリンゴあげる」だけなのがギブアンドギブです。
受け取った人が喜ぶのを見て自分も喜ぶ。
与えると喜ぶからまた与える。
また喜ぶ、また与える。
これがギブアンドギブです。
「え、でもそれじゃあどんどん減ってくだけじゃない?」
確かにリンゴが5個あって1個あげて4個になって、もう1個あげて3個になって、…そのうちになくなってしまいます。
しかしもしあなたがリンゴをもらった人だったら、ただもらいっぱなしで何も思わないでしょうか。
もらってばかりではさすがに悪いから代わりにこれをあげよう、と何かお返しをするのではないでしょうか。
ここにギブアンドギブが成り立つ仕組みがあります。
返報性というルールがギブアンドギブを可能にしています。
インターネットゲームでの出来事
少し前にX(旧Twitter)で話題になったゲームの動画があります。
ゲーム自体の説明をしますと、これはインターネット上で対戦をするアメリカ生まれの多人数参加型オンラインゲームです。
1つの大きな仮想空間に世界中の複数のプレイヤーが入り乱れ、最後の1人になるまで銃で撃ち合って殺し合うという物騒なゲームなのですが、そこで起こったほっこりする出来事です。
動画はこちらで見ることが出来ます。
ゲームが苦手な方向けに内容を書きますと、
ある日本人プレイヤーが丸腰のプレイヤーを見つけました。
本来は丸腰プレイヤーは格好の餌食なのですが、何となく話しかけてみました。
このゲームはボイスチャットができるため、ゲーム内で会話ができるのです。(アメリカのゲームなので基本英語ですが)
「Where are you from?(どこから来たの?)」
「Miami. Where are you from?(マイアミだよ。君は?)」
「Miami? OK goodbye.I’m from Japan.(マイアミ?そっか、じゃあね。僕は日本だよ)」
「I love Japan!(俺、日本好きだよ!)」
ここで話かけた日本人プレイヤーは日本のことが好きだという彼に何かを渡したくなり、丸腰の彼にアイテムを渡し、別れました。
別れてしばらく経ったあとに彼がこちらにやってきました。
攻撃をしてくるのかと思い、逃げようとすると
「No no!Come back!(違う、違う!戻ってきて!)」
と言います。
何かと思って側に寄ると貴重なアイテムを渡してくれました。
思いがけないお返しに日本人プレイヤーは喜び、
「Thank you Japan! See you!(日本の人、ありがとう!また会おう!)」
「Good luck!(幸運を!)」
と言って別れました。
その後別のプレイヤーと交戦し、あえなく日本人プレイヤーはやられてしまいました。
すると、さきほどのマイアミの彼が
「You kill Japan!(おまえは日本人を殺した!)」
と叫んで仇討ちに走ってきてくれました。
その彼もあっという間に返り討ちに遭うのですが、最後の一人になるまで戦うという殺伐としたゲームの中で、日本人プレイヤーとマイアミのプレイヤーとの間に芽生えた友情に多くの人が感動しています。
さて、この2人に一体何が起こったのでしょうか。
返報性とは
返報性とは「他人がこちらに何かを施したら、自分は似たような形でそのお返しをしなくてはならない」という人間の意識の中に存在するルールです。
何かをしてもらったらお返しをする、という文化は世界中に浸透しており、社会学者のアルビン・グールドナーはすべての人間社会がこのルール(互恵性規範)を採用していると言っています。
私たちの先祖が狩猟のみの生活から農耕をするようになったころ、人間社会に役割分担が出来ました。
役割分担のおかげで、狩りが得意な者は狩りを、農耕が得意な者は農耕を、道具作りが得意な者は道具を、裁縫が得意なものは裁縫を、と自分の得意な労働力をそれぞれが提供し、代わりに必要なものを手に入れられるようになりました。
こうして自分にできない、あるいは苦手なことをしてもらったら、自分にできることを提供しなければならないという意識が芽生えました。
人間社会の進歩に必要なものが「受けた恩に必ず報いなければならない」という義務感です。
この考えが浸透しているから「何かを与えれば必ず何かを返してもらえる。だから自分のものを他人に与えても自分が困ることはない」と考えるようになり、援助、防衛、商売、組織などの制度が作られていきました。
そのため現代人には「何かをしてもらったら何かを返さなければならない」という意識が根付いています。
これが返報性です。
この返報性からゲームの出来事を見てみますと、マイアミのプレイヤーの「俺、日本好きだよ」という言葉により日本人プレイヤーは嬉しくなり、自分の国を好きだといってくれる人に対してお返しをしたくなりました。
そこでアイテムを渡すのですが、それをまたマイアミのプレイヤーは喜びました。
そしてたまたま見つけた貴重なアイテムを日本人プレイヤーに渡しました。
その日本人プレイヤーが別のプレイヤーにやられてしまったので怒って「おまえは日本人を殺した―」と叫んで向かっていきました。
それを見た日本人はその行動にまた喜びました。
きっかけは「どこ出身?」という何気ない問いかけと、「俺、日本人好きだよ」の一言でした。
ほんのささいな言葉から国を超えた友情が生まれたのです。
返報性とギブアンドギブ
ギブアンドギブで与えてばかりでは自分がすっからかんになってしまうのでないか、という心配がいらないことは返報性により説明できます。
しかも返報性の研究によると1与えた場合のお返しは1以上であることがわかっています。
こちらの実験では、25セントのくじ付きチケットを売るときに、10セントのコカ・コーラをプレゼントした人と、何もプレゼントしていない人とでは、コーラをプレゼントした人からチケットを購入した枚数は、そうでない場合の2倍でした。
具体的にはコーラをプレゼントした人からの平均購入枚数は2枚=50セント分でした。
10セントのコーラをプレゼントすることで50セントのチケットを販売することができたのです。
このように返報性の法則から考えて、ギブアンドギブだと自分の分がなくなって困る、ということはないのです。
ゲームの出来事でも「好きだ」という言葉→アイテム→貴重なアイテムとだんだん価値が上がっていきました。
ギブアンドギブの気持ちで与えると、後で大きなテイクとなって返ってきます。
わらしべ長者という話があります。
貧しい人が一本のワラを物々交換していき、ワラ→アブ→みかん→反物→馬とだんだん高価なものになって最後は屋敷を手に入れるという話です。
詳しくはわらしべ長者(Wikipedia)をお読みください。
そして海外で実際にわらしべ長者になった人がいるそうです。
ネット版わらしべ長者への道–ペーパークリップは家一軒に化けるか
他にもわらしべ長者チャレンジをしている人は多く、家までにはならなくても、最初のものよりは価値のあるものに変わっています。
与えたものよりも価値のないもの、少ないものが返ってくるのならばこのようなことは起こりません。
ギブアンドギブを心がける人は与えた以上に返ってくるので、より恵まれるのです。
布施(ふせ)
仏教を説かれたお釈迦さまは
「幸せになりたければ良いことをしなさい。不幸が嫌ならば悪いことはやめなさい」
と教えられましたが、その良いことの1つに「布施(ふせ)」が説かれています。
布施とは「布を施す」と書くように、自分のものを他人に与えて親切をすることです。
“自分のもの”の中には所有物やお金のことも入りますし、優しい言葉や労働力も入ります。
そして布施の反対を慳貪(けんどん)と言います。いわゆる”ケチ”のことです。
先ほどの言葉を言い換えると
「人に何かを与えなさい。そうすればあなたは幸せになれますよ。与えることをケチっていては幸せにはなれませんよ」
となります。
ギブアンドテイクは「これだけしてあげるんだから、その分返してね」の心がありますが、ギブアンドギブは見返りを期待せず与える一方です。
「ギブアンドギブでは自分の分がなくなるじゃないか」と思うかもしれませんが、お釈迦さまの言われるように人に与えることばかり考えていれば幸せになれます。
受け取った人はあなたを放っておかないからです。
冒頭のゲーム内の出来事では最初小さな布施をした日本人プレイヤーは、ゲーム内でもお返しがありましたが、この出来事をX上に公開したことから更なる展開が起こり、多くの人からの称賛を受けて大きな幸せを手に入れました。
自分が誰かに何かをしてもらったときにどのような気持ちになるか考えてみますと、「このまえあれをもらったからお返ししよう」という気持ちにならないでしょうか。
自分に何かしてくれた人の幸せを願う心は起きませんか。
あなたの幸せを願う人が多ければ、きっとあなたは幸せになれます。
あなたの幸せを願う人が少なければ、きっとあなたは不幸になります。
私もギブアンドギブを心がけて、多くの人から幸せを願われる人になりたいと思います。
まとめ
見返りを要求するギブアンドテイクと違い、見返りを期待せずにただ与えるだけなのがギブアンドギブです。
何かを与えられたらそれと同じ性質のものを返そうとする人間の性質を返報性の法則と言い、返報性の法則によりギブアンドギブは成り立ちます。
お釈迦さまは幸福を求める人に、見返りを期待しない布施(ふせ)を勧められています。
「自分は他人に与えられるようなものを持ってないから何も与えられない。ギブアンドギブなんてできない」という人にお釈迦さまは何も持たない人でもできる7つの布施(無財の七施)を教えられています。
その7つの内の最初の2つが眼施(げんせ)と和顔悦色施(わげんえっしょくせ)です。
この2つについて、こちらの記事で紹介しています。
→和顔愛語でみんな幸せ!(前)|笑顔のチカラを科学します

こんぎつね

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