親との関係に悩むときは|自分が変われば関係は必ず変わる

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
お悩み解消研究家のわかです。
友人が、同居するお母さんとの関係に悩んでいると話していました。
友人は早くにお父さんが亡くなり、弟も家を出ているため、今はお母さんと二人暮らしです。
お母さんとは一緒に出かけることもあるそうですが、家では、顔を合わせるといろいろ口うるさく言われることがあり、不満がたまっているようでした。
昔から弟には優しく、自分には厳しかったという点も、ずっとモヤモヤを抱えていたそうです。
仲のいい親子の話を聞く一方、親子関係に複雑な思いを抱えている人も少なくありません。
今回は、親子関係について考えてみたいと思います。
親子関係は難しい
友人の帰りが遅くなった日のことです。
お母さんはすでに休んでいたため、友人は静かに玄関のドアを開けて家に入りました。
ところが、お母さんには思いのほか音が大きく聞こえたようで、目が覚めてしまったと文句を言われたのだそうです。
更には夜遅くまで出歩いていたことも指摘され、「こんな夜遅くなのに、あんたがバタンとドアを閉めるから眠れなくなった」と責められてしまったのです。
友人自身も悪いところがあったと思いつつ、そんな言い方をしなくてもいいのにと腹が立って言い返してしまったと話していました。
この話を聞いて、やはり親子関係は難しいものだなと感じました。
これがもしシェアハウスなどに住む友人同士の場合、たとえドアの開閉音で目が覚めてしまったとしても、責めるような言い方はしないのではないでしょうか。
また、帰ってきた側も、起こしてしまって申し訳ないな、という思いから、素直に「ごめんね」と謝罪の言葉が出てくるのではないかと思います。
友人同士なら相手に気を遣えるのに、親子だとどういうわけか言い合いになってしまうんですよね。
親子が反発しあう理由
親子の間で反発してしまうのは、仏教で教えられる慢心の一つ、「我慢(がまん)」が関係していると思われます。
「我慢」とは自分の間違いを認めず、どこまでも我を通そうとするうぬぼれ心のことです。
「這っても黒豆」ということわざがありますが、まさにこの我慢の心を表す言葉です。
上記の話で考えてみると、夜遅くに帰ってきてお母さんを起こしてしまったことは、申し訳ないと友人も思っています。
お母さんとしても、言い過ぎたかもしれないと心のどこかで思っているのではないでしょうか。
お互いに自分の言動がよくないと思っていながらも、相手の手前、間違いを認められずに「自分は悪くない!」と反発してしまう。
親子だから滅多なことでは離れていかないだろう、という心も手伝って、相手を気遣う言動がなかなかできないのです。
相手は鏡に映った自分
こういう時、「むこうが優しくしてくれれば自分も優しくするのに」と思う心はないでしょうか。
しかし、おそらく親御さんも同じように思っているのです。
たとえるならば、1本の丸太橋に両側から歩いてきてぶつかったようなものでしょう。
どちらかが譲らなければ丸太橋は渡れませんが、お互いに「そっちが先に譲ってよ」と思っている限り、どちらも向こう岸に渡ることはできません。
どんな人間関係においてもそうですが、相手は鏡に映った自分の姿といえます。
もし相手が笑顔でいたら、自分もつられて笑顔になるのではないでしょうか。
不機嫌そうにしている人と接していたら、いつの間にか自分も愛想のない顔になってしまいます。
それは相手も同じです。
私が優しく言葉をかければ、相手も優しさを返してくれます。
私が棘のある物言いをしていれば、相手も反発して、厳しい応対になるでしょう。
自分の相手に対する言動が、そのまま相手の自分に対する言動として返ってきているだけなのです。
自分が変われば関係は必ず変わる
自分の言動がそのまま相手の言動になって返ってきているということは、自分の言動を変えれば、親の言動も変わるということです。
つまり、まず自分が親に対する態度を和らげることが大切なのです。
先述の丸太橋のたとえで考えると、自分が橋を引き返して譲るということでしょう。
ただ、そうすると、親子関係では特に、「なんで自分が譲らないといけないのか!」と納得いかない思いになるかもしれません。
もし、自分が譲らないとするならば、親に譲ってもらうことになります。
その場合、譲るように説得したり、力づくで無理やり譲らせるようにするのでしょうか。
それは一筋縄ではいきませんから、多大な労力や時間をかけた結果、不満だけが残り、関係の悪化という事態にまで発展することは目に見えています。
自分から譲ってしまったほうが時間や労力をかけずにすみますし、形だけでもまず譲ることで、親との関係を変える一歩が踏み出せると思います。
まとめ:親とも「しばらくの縁」
親子関係は切っても切り離せないと言われますが、離れる時は意外とあっという間にやってくるのです。
仏教には、「会者定離(えしゃじょうり)」という言葉があります。
会者定離とは、出会ったものは必ず離れていかなければならない時が来るということです。
ですから、親子関係といっても「しばらくの間」だけのことなのです。
この世は皆、しばらくの縁である。
しばらくの間、夫であり妻であり、子供であり親なのである。
そうと知れば、一瞬一瞬のご縁を大切にせずにおれなくなる。
(『光に向かって123のこころのタネ』より)
どんなに反発しあっていても、いずれ必ず別れの時が来ます。
「しばらくの縁」と思えば、自然と「意地を張っていないで、自分が譲ろうか」という気持ちにもなってくるかもしれません。
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