将来に不安しかないと感じるあなたへ|不安解消のカギは「なぜ生きる」

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
お悩み解消研究家のわかです。
日々、テレビやインターネットを見ていると、戦争、物価高騰や少子化、移民問題など、さまざまな問題が報道され、目に飛び込んできます。
ただでさえ先の見えない人生で、こんなニュースばかり聞いていたら、希望を感じられず、不安になるのも当然でしょう。
自分の将来は、どうなっていくのだろう。
平穏に人生を過ごしたいけれど、それもかなわないかもしれない。
このように感じておられる方も少なくないのではないでしょうか。
今回は、不安な世の中を生きるうえで大事なことは何かを考えていきたいと思います。
将来に不安を感じる理由
私たちが将来に対して不安を感じるのは、なぜなのでしょうか。
理由はいろいろあるでしょうが、「先が見えないこと」が大きいのではないかと思います。
例えば、目隠しをされた状態で「前に進め」と言われたらどうでしょうか。
進む先には何か障害物があるかもしれませんし、もしかしたら道はなく、崖になっているのかもしれません。
あるいは平坦な一本道が続いているだけかもしれません。
どんな可能性を考えたとしても、一切見えないのですから、安全であるという保障は何もないのです。
そんな状態で、平気な顔をして歩いていける人などいるでしょうか。
見えないということは「分からない」ということであり、分からないことは「不安」なのです。
人や物から安心は得られるか
しかし、不安な気持ちのままでは生きづらいので、私たちはなんとか安心を得ようとします。
「主人も私もまだまだ健康だから」「老後の資金はきちんと用意してあるから」「子どもたちがいるから」「日本は平和な国だから」大丈夫だと思い込もうとするのです。
では、それらは私たちの将来を保障してくれるのでしょうか。
『歎異抄(たんにしょう)』という有名な古典には、次のように書かれています。
「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなし」
【意訳】
火宅のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべては、そらごと、たわごとばかりで、真実は一つもない。
「そらごと、たわごとばかりで、真実は一つもない」と強烈に言い切られているのは、なぜなのでしょうか。
確かなものがない世の中
「煩悩」とは、欲や怒り、ねたみ、そねみなどの心をいいます。
人間は自らの欲を満たすために人を裏切り、欲が満たせなければ怒って人を傷つけ、自分は努力もせずに人のことをねたんでばかりいます。
煩悩の塊である人間は、自分の都合によって気持ちもコロコロと変わっていきます。
ですから、「この人だけは絶対に私を見捨てない」とは言い切れません。
「火宅」とは、火のついた家ということで、不安な状態を表す言葉です。
また、「無常」とは続かないということです。
健康も財産も家族も平和も、私たちはずっと続くものだと思っていますが、実際にはいつ病に襲われるか分かりませんし、財産を奪われたり、死別したりすることもあるでしょう。
今の世界情勢を見れば、ある日突然戦争に突入する未来もありえないことではありません。
人も物も、「これだけは絶対大丈夫」と言える確かなものは一つもないのです。
「そらごと、たわごとばかりで、真実は一つもない」といわれるとおりです。
まず、事実を事実とあきらかに受け止める
ここまで読んで、さらに不安をかきたてられてしまったという方もあるかもしれません。
ただ、「明るい未来を考えよう」「根拠はないけど、どうにかなるよ」と、無理に取り繕おうとしても、根本的な解決にはならないでしょう。
それは問題から目をそらしているだけだからです。
例えば、自分が何か深刻な病気にかかっていたとします。
誰だって病気になるのは嫌ですし、先が不安です。
だからこそ、事実と向き合いたくない気持ちになるかもしれません。
しかし、「自分は病気じゃない」「放っておいてもきっとよくなる」と、病気という事実から目を背けていたら、どうなるでしょうか。
目をそらしても、病気が治るわけではありません。
病は体をどんどん蝕んでいきますから、うかうかしているうちに、取り返しのつかないことになってしまうかもしれません。
「自分は病気である」という事実を受け止め、向き合ってこそ、治療に踏み出すことができます。
同様に、本当に明るい未来にするためには、まず不安な現実としっかり向き合わなければならないのです。
不安解消のカギは「なぜ生きる」
では、不安を根本的に解消するには、どうすればよいのでしょうか。
私たちの不安の根本的な原因は、「なぜ生きるのか」が分からないところにあります。
私たちは誰でも、やがて老いて、病を患い、死んでいかなければなりません。
たとえ家族が円満で、健康で、経済的にも安定し、平和な日本で人生を終えるとしても、最後死んでいくときには支えにならないでしょう。
そんな中で、私たちは「なぜ生きる」のでしょうか。
先に紹介した『歎異抄』には、「摂取不捨の利益(せっしゅふしゃのりやく)」を得るためだと書かれています。
「摂取不捨」とは「摂め取られて捨てられない」ということ、「利益」とは「幸せ」ということです。
捨てられないということは、老いても、病になっても、死を前にしても、幸せがずっと続くということです。
明るい未来が確定していますから、将来への不安は出てきようがありません。
この幸せになるために、すべての人は生きているのです。
まとめ:「なぜ生きる」の答えは仏教に
私たちは、将来に対してさまざまな不安を感じています。
その不安にはいろいろと原因があるでしょうが、根本的には「なぜ生きるか」が分からないところからきています。
私たちは健康や家族、名誉、才能など、それぞれ何かを支えにして、不安をなくそうと頑張っています。
ですが、あらゆるものに恵まれていても、いつか失うこともありますし、最後死んでいくときには支えになってくれません。
最後必ず死に向かっていく私たちが生きるのは何のためなのか。
その答えは「摂取不捨の利益を得るため」と、ハッキリ仏教に教えられています。
どうすれば摂取不捨の利益を得られるかについても教えられていますので、ぜひ仏教を学んで明るい心になっていただきたいと思います。
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わか
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