妻の死をきっかけに私は自分の人生を見つめなおした

こんにちは、みさきです。
弊社主催の映画上映会に来られた70代男性のお話です。

長く連れ添った妻が、旅立ちました。
病気でした。覚悟はしていたつもりでしたが、それでもなお、現実を受け入れるには時間がかかっています。

朝、目が覚めても、隣にいない。
つい湯呑みをふたつ用意して、「ああ、もうひとつはいらないんだった」と気づく。

あまりに静かな日常が、こんなにも寂しく、重たいものだったのかと、初めて思い知りました。

悲しみとは、ただ涙を流すことだけではなく、その後に訪れる「空っぽの時間」を抱えながら、生きていくことなのかもしれません。

「なぜ、あの人が先に逝ってしまったのか」
「私は、これからどうすればいいのか」

そんな問いが、ふとした拍子に胸の奥から湧いてきて、思わず立ち止まってしまうことがあります。

「人は、必ず死んでゆくもの」──

これは仏教の根底を流れている「無常」の教えです。

どんなに愛し合った夫婦であっても、どちらかが先に逝く日が来る。
この身が終わることを避けることは、誰にもできません。
とはいえ、頭でわかっていても、心はすぐには追いついてくれないものです。

愛別離苦──“心の骨折”に寄り添う仏教

仏教には、人が人生で受ける代表的な苦しみとして「四苦八苦」が説かれています。

その中の一つが「愛別離苦(あいべつりく)」
──愛する者と別れなければならない苦しみです。

これは、まさに“心の骨折”ともいえるものでしょう。
体が骨折すれば誰の目にも明らかですが、心が傷ついた苦しみは、外からは見えません。
だからこそ、かえって深く、長く、静かに痛むのです。

この愛別離苦をきっかけに仏教に出会った、という人は昔から少なくありません。
大切な人との別れが、仏の教えを聞くご縁になる。
それは、悲しみの中にあっても、有難いことだと、思っています。

「白骨の章」に胸を打たれて

日本の仏教では、葬儀や法事の場で『白骨の章』という一文がよく読まれます。
室町時代、蓮如上人が遺されたお手紙の一つで、人の命の儚さを綴ったものです。

「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」

朝には元気に「行ってきます」と出ていった子が、その夕方には白骨となって帰ってくることもある。
そう教えられているこの言葉は、読むたびに胸を打たれます。

普段は「仕事が忙しい」「家のことで手一杯」と、つい流されてしまう私たちも、こうして“死”という現実に向き合わざるを得ない場面では、あらためて、「人が生きるとは何か」「死とは何か」と真面目に考えさせられます。

特に家族や友人の死は、強烈な問いを投げかけてきます。
「お母さんは、なぜあんなにも懸命に生きたのだろう」
「自分の人生は、いったいどこに向かっているのだろうか」

私の知人に、こんな方がいました。

夫を亡くしたことをきっかけに、毎朝仏壇の前で『正信偈(しょうしんげ)』を読むようになったそうです。
最初は“供養のため”でしたが、日を重ねるごとに、ふとこんな思いが湧いてきたといいます。

「この『正信偈』には、何が書かれているんだろう」──と。

やがて、ご縁あって『正信偈』の意味を学ぶ場に通うようになり「亡き夫を偲ぶうちに、私が仏教と出会わせてもらいました」と、しみじみ話されていました。

こうした方は、実は決して珍しくありません。
むしろ、仏教にご縁を結ばれる方の多くが、愛する人の死を通して仏法に出会われているのです。

親鸞聖人が“死”と向き合われた幼少期

浄土真宗の祖師・親鸞聖人もまた、身近な人の死を通して仏教と出会われた方です。

親鸞聖人は4歳のときにお父様を、8歳でお母様を亡くされています。
両親の死は、幼い親鸞聖人の胸に、深い悲しみと問いを残しました。
「次に死ぬのは自分だ」
「死んだら、どこへ行くのだろう」
「父や母は、今どこにいるのか」
こうして、死を真剣に考えるようになり、9歳で仏門に入られたのです。

遠い誰かの死ではなく、すぐそばの、大切な人の死──

死別の悲しみは決して無意味ではない

亡くなった人を思うとき、
「あのときもっと○○してあげればよかった」
「あんな言い方をしなければよかった」
と、自分の至らなさを痛感することもあるでしょう。

けれども、その後悔こそが、
「こんな私、死んだらどこへ行くのだろう」という問いにつながっていきます。
そしてその問いが、仏法を真剣に聞くご縁となっていくのです。
実際に、仏教の教えによって“心の居場所”を得た人はたくさんいます。

死別の悲しみは、決して無意味ではない。
それは、人生を見つめ直す扉となり、もう一度“生きる”ということを考える出発点となるのです。

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みさき

はじめまして、みさきです。 チューリップ企画で「動画で学べる仏教」を制作しています。 10年間、旅のプランニングの仕事を通して、幅広く多くの方々とお話してきました。旅には各々の想いがあり、じっくりとお話をしながら旅のお手伝いをしていきます。人と関わる中で人間関係で悩んでいる人が多いことを知りました。 8年前に仏教とご縁があり、人間の心についてずば抜けた洞察の深さに感動して、今の仕事に至っています。日常の悩みについて仏教ではどう教えられているかを発信してゆきたいと思います。
心が穏やかになった人へ
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