宋の創始者・趙匡胤に学ぶリーダーの資質|名君になる5つの秘訣(後)


こんにちは、暮らしを良くする研究家のこんぎつねです。

前回の記事では、宋の創始者・趙匡胤(ちょうきょういん)を通してリーダーの資質を考えてみました。

今回はその続きです。

リーダーの資質2:怒っても道を外れないルールを作った

趙匡胤(ちょうきょういん)は元々怒りっぽい性格でした。

趙匡胤は自分でも怒りっぽい性格であることを自覚しており、怒って何かをしでかしてから「しまった」と反省するエピソードが多く残されています。

狩りに出ていたある時のこと、馬で駆けていると馬が地面のくぼみに足を取られて転んでしまい、趙匡胤は地面に投げ出されてしまいました。
怒った趙匡胤はその馬を剣で刺し殺しますが、すぐに後悔して、

「ワシは皇帝であるのに危険を考えず気軽に猟に出ている。そんなワシがどうして馬を罰することができるだろうか」

と反省し、その後はもう狩りに出なくなりました。

また庭で雀を弓矢で撃って遊んでいたときに家臣が「大事な書類があるのですぐに目を通してほしい」と至急謁見を求めていると連絡があったので、雀撃ちを止めて急いでその家臣に会いに行きました。

しかし書類を見るとちっとも急を要する内容ではありません。

趙匡胤「なんだ。急ぎのことではないでないか!」

家臣「でも雀撃ちよりは急ぎのことだと思いますけど」

趙匡胤「何だと!」

怒った趙匡胤は持っていた斧の柄で家臣の顔面を殴りつけると、ちょうど柄が歯に当たったため歯が2本折れて床に落ちました。

その家臣が歯を拾うのを見て

趙匡胤「なんだおまえ、その歯を見せてワシを訴える気か?」

と尋ねると

家臣「私が陛下を訴えることはありませんが、歴史官はこのことを書き残すでしょうねぇ」

と答えたため、『趙匡胤は怒るとすぐに暴力を振るう皇帝だった』と後世の人に思われたくなかったからかすぐに笑顔になり、家臣に金銭を与えて慰労しました。
その家臣の言う通り、確かにこうして書き残されています。

また、過去の皇帝は家臣からの諫めや受け答えに腹を立てて家臣を処刑してしまう例が多々ありましたが、

言論を理由に官僚と学者を処刑してはならない

を子孫代々守るよう命じて、有能な家臣を一時の怒りで処刑することを禁じました

リーダーの資質3:学び続けた

学生時代は勉強に励んでも歳を取ると学ぶのを止めてしまう人が多いですが、趙匡胤(ちょうきょういん)は元から大変な読書家でした。

まだ皇帝になる前、主君の柴栄(さいえい)に従って敵の討伐に行ったときに、敵の城を落とした後で趙匡胤が何かを自分の車に運び込んでいる様子を、趙匡胤の功績を妬んでいる者が発見しました。

趙匡胤「フフフ…たくさん手に入ったぞ…」

同僚「あ、趙匡胤のヤツが財宝をこっそり盗んでるぞ。しめしめ、こりゃあ柴栄様に報告すれば重い処罰が下るだろうなあ。柴栄様!趙匡胤のヤツめが財宝をこっそり盗んで車に運んでいました!」

柴栄「なにっ!?…いや、趙匡胤はそんなことする者じゃなかろう。おい趙匡胤、おまえ何を積み込んでるんだ?」

趙匡胤「はい、書物です」

柴栄「は、書物?武官のおまえがこんなにたくさんの書物を集めてどうするんだ?」

趙匡胤「はい、私は陛下に仕えながら格別な智謀もなく、職務を果たせていないのではないかと不安なのです。そのため書物に親しみ学んで、少しでも賢くなろうと思っているのです」

このような読書好きは皇帝になってからも続き、図書館に通って本を読み、歴史を学んで家臣たちと語り合ったそうです。

リーダーの資質4:力ではなく知識と智恵を重視した

それまでの中国では戦争ばかりしていたために軍が力を持っていましたが、これが争いと国力低下の原因だとし、武官よりも文官に重きを置く文治主義を取りました。

そのために、科挙を改善して科挙の試験合格者が最後に受ける皇帝臨席の試験である『殿試(でんし)』を行うようになり、武官より上に文官が立つようにしました。

この文治主義政策により、官僚はそれまでの世襲の貴族制ではなく秀才賢者で占められるようになり、科挙に合格できなければ権力を握ることはできなくなりました

文治主義を進めた趙匡胤自身も物事をよく考えており、宰相の趙普(ちょうふ)と外征についてこのようにやり取りをしています。(この頃の宋はまだ、たくさんある国の内の一国に過ぎず、周りを他国に囲まれていました)

趙普「陛下はまだ宋が狭いとお考えでしょうか?今は南も北も攻めるに絶好の機会です。陛下のお考えを聞かせてください」

趙匡胤「ワシは北の北漢を攻めようかと思っている」

趙普「あ…北漢はその北の西夏や契丹(現在のモンゴル、チベット、ロシアの一部)の要衝です。ここを攻め落とせば西夏や契丹の侵攻に備えなければなりません。それよりも南征をお考えになっては?北漢はその気になれば簡単に滅ぼせると思いますが」

趙匡胤「ワシも実はそう考えていた。おまえを試したのだ」

わざと心にもない愚策を言うことで、宰相が自分の意見にハイハイ従うだけの人物ではないということと、宰相がどのような意見を持っているかを同時に聞きだしたのです。

こうして南征を開始した趙匡胤は瞬く間に諸国を平定していきました。

リーダーの資質5:先々のことまで考えた

殺生を嫌う

趙匡胤(ちょうきょういん)は将軍として敵を討伐していた人ですが、皇帝になってからは殺生を嫌いました

皇帝に即位した後は前皇帝一族は処刑するのが通例ですが、趙匡胤は先代の柴栄(さいえい)への恩を忘れず、柴一族は宗王朝の元で代々手厚く保護するよう命じました。

それ以外にも、宋建国時にまだ地方に残っていた国を攻め滅ぼしたとき、敵国の君主は処刑するのが一般的ですが、そこの君主を中央に呼んで処刑せずに生かしました。

また他国を攻める際には城を落としても民衆を殺さないように将軍に命じたり、国を滅ぼしたときに虐殺を行った将軍を功績があるにも関わらず降格処分にしたりと、戦争中でもなるべく血を流さないよう配慮して、殺生を嫌っていました。

君主を処刑すればその君主に従っていた人たちから恨みを買いますし、民衆を虐殺することでその地域の人たちから憎まれますので、反乱のきっかけになります。

趙匡胤は殺生を嫌うことで後々の反乱を防いだのです

石刻遺訓

趙匡胤(ちょうきょういん)は子孫が道を誤ることのないように石に遺言を刻み、皇帝に即位した際にこれを拝み見ることを習わしとしました。

これを『石刻遺訓』と言います。

その存在は極秘にされてごく一部の者にだけ伝わり、宰相ですらその存在は知らされませんでした。

その石には

  1. 柴氏の子孫は罪があっても、刑罰を加えてはならない。たとえ謀反を起こそうとも、牢屋に入れて死を賜り、公開処刑をしてはいけない。また一族を連座して処刑してはいけない
  2. 言論によって官僚や学者を処刑してはならない
  3. これを守らない者は必ず天がその者を殺すだろう

と刻まれていました。

特に後世に影響を与えたのが2番目で、これにより家臣は皇帝に意見を言いやすくなり、皇帝の判断ミスが正され、また文官の力が強くなり、唐のように武官が力を持つことで皇帝の権力が弱まることはありませんでした。

欲と怒り

趙匡胤(ちょうきょういん)が名君と言われる理由は総じて言えば欲と怒りを抑えたところにあるでしょう

皇帝になったのだから贅沢をしたい、強権を発動して人にあれこれ命令したい、勉強なんかせずに遊んでいたい、考えるのは面倒だから仕事は部下に任せておきたいなど、私たちが「もしも国で一番偉くなったらこんなことをしたい」と思っていることをせずに欲を抑え、怒りに任せてやってはならぬことをして後悔しないようにルールを作りました。

仏教ではすべての人間には108つの煩悩があり、中でも代表的な煩悩に怒り恨み妬みの3つがあると教えられています。

煩悩の詳しい説明はこちらで解説しています。

私たちはこれらの煩悩によって悪を造り、その結果を受けて自分が苦しみます。

実際に多くの皇帝たちが、過度な欲や、一時の怒りにより自分の首を絞めて国を滅ぼしています。

趙匡胤がそれらの暴君、暗君と違い、名君と讃えられたように、リーダーの資質の本質は欲や怒りを抑えて行動するところにあるでしょう

まとめ

名君と言われる宋の創始者・趙匡胤(ちょうきょういん)は

  1. 欲を抑える努力をする
  2. 怒っても道を外れないルールを作る
  3. 学び続ける
  4. 知識と智恵を重視する
  5. 先々のことまで考える

の5つにより宋300年の礎を築きました。

この5つはそのまま、リーダーの資質としてお手本にすることができます

これらに共通する点は、欲と怒りを抑えたところにあります。

私たちも趙匡胤のように欲と怒りを抑えて、長く続く組織を作っていきたいものです。

The following two tabs change content below.
Avatar photo

こんぎつね

チューリップ企画デジタルコンテンツ事業部にてサポートとインターネット業務にも携わっているこんぎつねです。(こんぎつねの記事一覧へ)チューリップ企画に来る前は愛知県で主に60代以上向けのイベントを運営していました。人について学ぶのが好きで、大学では生物学を専攻しました。よく読む本のジャンルは心理学、脳科学など人の心や体の行動に関するものが多いです。ブログもそれらの本を参考に、この悩みは 仏教ではこう解決するという内容を専門語を使わずになるべくわかりやすい言葉で発信することに心がけています。もっともっと多くの方の悩み疑問にお答えしたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
心が穏やかになった人へ
心が穏やかになった人へ

おすすめの記事