大切な人が亡くなったときに思うこと|残してくれた命のメッセージとは
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こんにちは。動物なら断然、小動物が好きな九条えみです。
小学生の頃『とっとこハム太郎』の影響から、どうしてもゴールデンハムスターが飼いたくなり、親におねだりして初めてペットを飼うことになりました。
小さいながらも一生懸命に生きるハムスターは本当に愛らしく、大切に育てていたのでした。
けれど、別れは突然やってきました。ある土曜日の夜、エサを交換しようと思ってケージを覗くと何だかおかしいのです。
「なに?動物の形をしたぬいぐるみみたい・・・」
まさかっ、と思い身体が一瞬でこわばりました。信じたくないと思いながらよくよく見ると、目は閉じ身体がひからびて小さくなった亡きがらが横たわっていたのでした。
その日は、とてもとても悲しい夜でした。
大事に思っているほど、もう会えないと分かったときの悲しみは大きくなります。言葉の通じないペットでも、涙が後から後から出てくるのです。それが自分の一番側にいてくれる大切な人であったら・・・。
今回は大切な人が亡くなったときに人は何を思い、そして残された者の使命は何かについて取り上げます。
大切な人が亡くなったときに思うこと
大切な人が亡くなったときの悲しみは、本人以外分からないというのが正直な所だと思いますが、どのような気持ちが起きるのでしょうか。
33年間連れ添った妻が53歳の若さで亡くなり、現実のこととしてなかなか受けとめることができないでいる。あの世で今どうしているのか?とか、この世に残された自分の使命は何か?など。(愛知県 59歳・男性)
年末に 母と兄が続けて他界し、元気が無くなりました。(家には)血の繋がった家族が誰もいなくなり、息子も巣立って主人もおらず一人ぼっち。自分の役割、使命はなんだろうかと考えています。自殺はだめだと教えられたが、兄に続いて自分も・・・という気持ちになることがあります。(岡山県 65歳・女性)
お二方とも、残された自分の使命について考えておられます。
使命とは文字通り「命の使い道」ということです。今まで一緒にいるのが当たり前だった人が亡くなったときに、命のはかなさを知らされ、あっという間に散りゆく命にどんな意味があるのか問わずにおれなくなるからでしょう。
残された者の使命とは
日本を代表する哲学者・西田幾多郎は『我が子の死』という随筆に、6歳になったばかりの愛娘を失った胸中をこう述べています。
特に深く我心(わがこころ)を動かしたのは、今まで愛らしく話したり、歌ったり、遊んだりしていた者が、忽ち消えて壺中(こちゅう)の白骨となるというのは、如何なる訳であろうか。もし人生はこれまでのものであるというならば、人生ほどつまらぬものはない、此処には深き意味がなくてはならぬ、人間の霊的生命はかくも無意義のものではない。死の問題を解決するというのが人生の一大事である、死の事実の前には生は泡沫(ほうまつ)の如くである、死の問題を解決し得て、始めて真に生の意義を悟ることができる。
亡くなった人を縁として、心静かに命の実態を見つめたときに、やがて訪れる人生の終着点にも目が向くのでしょう。
西田氏は「 死の問題を解決するというのが人生の一大事である」と言いましたが、死の問題を解決する教えこそ仏教であると言われます。
53歳の若さで妻に先立たれた男性は仏教を学び始め、新たな人生をスタートされています。
「人生を生きるのに迷いが無くなりました。人生の目的、生きる意味が分かりました。妻を亡くした淋しさ、辛さは現在もありますが、それを乗り越えて行ける気がします。死を身近に感じるようになり、1日1日を大切に精一杯生きるようになりました。」
大切な人が遺してくれた命のメッセージを噛みしめ、死の問題を解決したときこそ、亡くなった方も本当に喜ばれるのではないでしょうか。
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九条えみ
チューリップ企画では、お客様サポートおよびウェブでの情報発信を担当しています。仏教を学んで約10年。仏教の視点からお悩み解消のヒントをご紹介できればと思います。
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