「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の主題歌「One Last Kiss」を深掘り|幸せを心から満喫できないのは、なぜ?

先日、知人が「失うのが怖いから、手に入れた時から失う心の準備をしている」と言っていました。

人と交流するのは好きだけれど、あまり深い関係になりすぎないように距離感を調整したり、何かのことで事故や病気になったときにショックが大きくならないよう、日常のささいなことにも感謝する訓練をしているそうです。

この話を聞いた時に、宇多田ヒカルさんの「One Last Kiss」の歌詞が浮かびました。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の主題歌です。

愛する人に出会った高揚感と喪失感が歌われており、考えさせられる内容です。

「One Last Kiss」歌詞の意味

初めてあなたを見た
あの日動き出した歯車
止められない喪失の予感

(中略)

寂しくないふりしてた
まあ、そんなのお互い様か
誰かを求めることは
即ち傷つくことだった

(宇多田ヒカル「One Last Kiss」)

「初めてあなたを見た
あの日動き出した歯車」

とあり、一目見たときから心を奪われて夢中になっています。それほど強烈に愛する人に出会ったということでしょう。

同時に

「止められない喪失の予感」

とあるように、出会った瞬間からいつかくる別れを想像し、喪失の予感が止められないと言っています。

昔から「会うは別れの始めなり」と言われるように、お互い生身の人間、離れたくなくても必ず別れはやってくると経験的に知っているからでしょう。

つぎに

「寂しくないふりしてた」

とあります。

付き合うようになったけれども、会いたいときに会えなかったりと寂しさを感じています。

しかし、その寂しさを相手に伝えて、どんな反応をされるか分からない。

もしかしたら、相手は自分ほどの寂しさは感じていないかもしれません。

だから寂しくないふりをして自分の思いに蓋をしています。

「まあ、そんなのお互い様か
誰かを求めることは
即ち傷つくことだった」

しかし、「そんなのお互い様か」と言っています。

何がお互い様かというと、誰かを好きになるということは、傷つくことだということです。

相手にちゃんと愛されているか不安になったり、自分が心変わりして愛情が冷めることもあります。

せーので同じタイミングでお互いに心変わりすれば、どちらも傷つかないかもしれませんが、たいていは時間差があります。

そうなると、想いが残っている方はどうしても傷ついてしまいます。

お互いに愛情を持っていたとしても、「この人なら性格が合いそう」と思って近づいてみると、色々な部分で共感できないところが見えてきて、理解したいのに理解し合えないことに傷つきます。

とくに「誰かを求めることは 即ち傷つくことだった」という歌詞を聴くたびに、私は本当だなぁと思います。

恋人関係だけでなく、親子、友人などの関係においても同じことが言えるでしょう。

誰かを求めるとは、誰かに期待するということです。

その期待がある程度自分の思う通りであれば、「やっぱりこの人は頼りになるなぁ」と相手への信頼が高まり愛情を感じますが、何かの事情で期待が満たされなくなれば、「こんな人とは思わなかった」と傷つきます。

なぜ幸せが怖いのか

冒頭にあげた知人は「失うのが怖いから、手に入れた時から失う心の準備をしている」と幸せに身をゆだねるのを恐れています。

なぜ、幸せになるのが怖いと思うのでしょうか。

それは、私たちが知っている幸せには、悲しい3つの定めがあるからだと仏教では明らかにされています。

悲しいといわれる理由は、私たちが生きていく時には必要で大切で、たしかに幸せに間違いないけれども、やがて悲しみや苦しみに変質してしまうからです。

【「幸せ」の3つの悲しい定め】

(1)キリがない

(2)続かない

(3)死の前には総崩れ

宇多田ヒカルさんの「One Last Kiss」で歌われているのは「続かない」という特徴です。

愛する人と結婚できても、若くして病気になって死に別れたり、事故に遭ったりするかもしれません。

昨日まで幸せな家庭であっても、いつ事故や災害に遭い離れ離れになるか分からないのが私たちの生きている世の中です。

また「心コロコロ」と言われ、私たちの心は盆の上の卵のように変わりやすい不安定なものです。

プロポーズの時に「一生大事にする」と言っていたのも本心ですし、関係が冷めきって「なんであの時あんな言葉が出たのだろう」と思うのも本心でしょう。

これを仏教では「諸行無常」と言い、すべてのものは常がなく続かないと明らかにされています。

幸せが怖いのは、この幸せが続かないことを経験的に知っているからでしょう。

「幸せ過ぎて怖い」と言われます。

それは大きな幸せほど、その幸せが崩れた時にまた大きな喪失感を感じるからです。

じゃあ幸せになれないの?

ここまで書くと「じゃあ幸せになれないの?」という気持ちが起きてきます。

しかし同時に仏教では、私たちの知っている幸せとは質の違う絶対に捨てられない裏切られない幸せがあると明らかにされています。

これを「摂取不捨(せっしゅふしゃ)の幸福」と言います。

摂(おさ)め取って捨てない幸福ですから、「いつか失うんじゃないだろうか」「それならあまり深入りしないでおこう」などという心配は一切無用です。

この摂取不捨の幸福を教えられたのが、古典の名著『歎異抄(たんにしょう)』です。

20世紀最大の哲学者といわれるハイデガーは、晩年に初めて英訳の『歎異抄』を読みました。

歎異抄の深遠な思想に触れた感動を次のように表現しています。

「世界の平和の問題に対する見通しがはじめてつく。

21世紀文明の基礎が置かれる。」

日本そして世界の哲学者や文学者から一目置かれる『歎異抄』。

その『歎異抄』に書かれた「摂取不捨の幸福」について、詳しく知りたい方はこちらの記事をごらんください。

『歎異抄』が語る絶対の幸福|人生の終末にも輝く喜びを得る

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九条えみ

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チューリップ企画では、お客様サポートおよびウェブでの情報発信を担当しています。仏教を学んで約10年。仏教の視点からお悩み解消のヒントをご紹介できればと思います。
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