心がおだやかになる読み物

醜いねたみの心に悩む青年が心惹かれたのは仏教だった

こんにちは。こころの悩みサポーターのこうへいです。

最近、仏教の講座で私と同じ30代の青年と出会いました。
良い人そうな穏やかな雰囲気の彼に、どうして仏教を学ぼうと思ったのかを聞いてみると、このようなことを語ってくれました。

ねたみの心の醜さに悩んだ青年は仏教に心惹かれた

僕は中学・高校時代から自分の心の醜さに悩んでいました。

仲の良い友達がいて、一緒に勉強をしたり、遊んだりしていました。
その友達のことを本当に親友だと思っていました。

ところが、彼が何かの賞をもらったことがありました。
学校中の人から讃えられる彼の姿と見た時に、何だか面白くない、妬ましい心が出てきました。
友達なんだから、彼の成功を一緒に喜んでやらないといけないはずなのに、ちっとも喜ぶ気持ちが出てこないのです。
一緒に喜んでいる周りの友人たちを見ると、友達の幸せが喜べない自分はおかしな人間なのだろうかと悩みました。

その後も、友達が成功したと聞くと面白くなく、失敗を望む心さえ出てきました。
友人の失敗を願うなんて、こんなに醜い自分は幸せにはなれないのではないかとずっと悩んでいたんです。

ところが、仏教を聞くようになって、僕と同じ心をすべての人が持っているのだと知らされました。
そしてすべての人が、人間に生まれてよかったと心から喜べる、絶対の幸福になれると仏教に説かれているのだと分かったんです。
それで僕は仏教を聞きたいと思うようになったんです。

すべての人はねたみなどの煩悩の塊

この青年の話を聞いて、彼の気持ちが分かるような気がしました。
私も友達の成功が面白くなく妬ましく思った経験があったからです。

彼が話してくれたように、他人の成功が妬ましく思う心はすべての人の持っている心でしょう。

仏教で他人をねたむ心を愚痴(ぐち)と言われ、煩悩の一つと教えられています。
煩悩とは、欲や怒りの心に代表される私たちを苦しめ悩ませるもので、すべての人に108あると説かれています。
そんな108の煩悩の塊が私たち人間だとお釈迦さまは教えられています。
愚痴(ぐち)・他人をねたむ心を持たない人はいないのです。

しかしそんな嫉妬(しっと)の心を持っているとは誰にも知られたくないものです。
ですから、ねたみの心なんてないかのようにみんな振舞っているのでしょう。

最初に紹介した青年が、醜いねたみの心を持っているのは自分だけではなかったと言っているのは、このすべての人の姿を説かれた仏教の教えを聞いたからです。
醜い心で苦しんでいるのは自分だけではなかったと知らされたことで、どれだけ彼の心が軽くなったか知れません。

ねたみの醜い心を持つすべての人が幸せになれる

さらに彼は、自分も含めてすべての人がありのままで幸せなれるのが仏教だと語っていました。

仏教ではすべての人の姿を徹底的に説かれた上で、そんな人が変わらぬ幸せになれることを説かれています。

日本で一番読まれている仏教の本といえば、『歎異抄(たんにしょう)』だと言われます。
その『歎異抄』の第1章にはこんな言葉があります。

罪悪深重(ざいあくじんじゅう)・煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)の衆生(しゅじょう)をたすけんがための願にてまします

衆生とはすべての人のことですから、すべての人は罪や悪が深くて重い者、ねたみやそねみなどの煩悩が盛んに燃えていると言われているお言葉です。
そしてそんな罪悪深重(ざいあくじんじゅう)・煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)の者が本当の幸福になれるのだと説かれているのです。

30代の青年が若くして仏教に心惹かれた理由がここにあったのかと彼の話を聞いて私も感動しました。

まとめ

すべての人はねたみそねみなどの煩悩の塊だと仏教では説かれています。

そして、そんな私たちが本当の幸せになれる道を仏教では教えられています。

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こうへい

チューリップ企画で動画制作を担当しています。 大学生のときに同じことの繰り返しの毎日にどんな意味があるのかと悩みました。しかも友人に相談しても分かってくれる人がなかったことが大きな苦しみでした。 その時に読んだ仏典の言葉に励まされました。その後、講演会の運営の手伝いをする機会があり、さまざまな悩みを持って参加した多くの人たちの声を聞かせてもらいました。私も学びながら、皆さんの悩みに寄り添っていける情報を発信していけたらと思っています。
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