簡単に「死にたい」とつぶやく女子高生|生きる意味が分からないのは〇〇が無いから

先日、女子高生と話す機会があり、こんなことを言っていました。

「私の周りの友達は簡単に『死にたい』っていう子ばかりなんです。

LINEのプロフィールにも『もう死にたい』と書いてあったり、Twitterでもそんなつぶやきが多くて…。

どう言葉をかけていいか戸惑うんですけど、とにかく話を聞くようにしています」

友達に面と向かって「死にたい」と何度も言えるほど、SNSに発信してしまうほど、生きていることの価値が希薄になっている人が増えているのかもしれない、と危機感を覚えました。

辛い思いをしてまで生きる意味が分からない

私は直接の面識はありませんから、その友人がどういう悩みを持っていて、どの程度の気持ちで放った言葉かは分かりません。

ただ、女子高生が簡単に死にたいと口にしてしまうほど、生きづらいのでしょう。

高校生ならば将来の進路を考える時期です。

自分は将来どんな仕事をしたいのか。どんな人生を歩んでいきたいのか。

そうなると「そもそも、なぜ勉強して、働いて、生きなければならないのか分からない」という生きる意味にぶち当たります。

ネット上にも、20代女性のこんな書き込みがありました。

勉強しなければならないし、大人になったら働かなければならないし、うまく人間関係を築かないといけないし、納税しなければならないし、「生きなければ」なりません。

なぜ辛い思いをしてまで生きなければいけないのか、さっぱり分からないんです。

この方が言われるように生きるのは「辛い」ことです。

衣食住を確保するためには、働かなければなりません。

働くには忍耐や努力が必要です。

朝眠たくても会社に行って仕事しなければなりません。

仕事で結果を出すためには勉強も必要ですし、周囲との関係も上手くやっていかねばなりません。

結果を出しても、それで終わりではありません。

また次の目標に向かって再スタートです。

時間や労力、神経を使いながら、終わりないゴールをどこどこまでも行くようなものです。

そんな将来が親や周囲の大人たちを通して分かるからなのでしょう。

「なぜ辛い思いをしてまで生きなければいけないのか、さっぱり分からないんです」という意見が出るのも当然と思いいます。

生きる意味は、死ねない理由があってこそ

生きる意味とは「辛い思いをしてまで生きねばならない理由」のことです。

裏を返せば「なぜ、辛い毎日を耐えてまで、死んではいけないのか」ということです。

一日生きるということは、一日死ぬのを先延ばしにする、ということです。

死ぬのを先延ばしにするのは「死ねない理由」があるからでしょう。

なぜ、死んではいけないのか?

なぜ、自殺してはいけないのか?

この疑問を考えたときに、「死」に無知であっては取り返しのつかない恐ろしいことになりますよ、と仏教を説かれたお釈迦さまは警告されています。

どんな警告なのか?2500年前に自殺を止められたお釈迦さまのこんな実話があります。

↓↓

お釈迦様物語 お釈迦様と自殺志願の娘

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九条えみ

チューリップ企画では、お客様サポートおよびウェブでの情報発信を担当しています。仏教を学んで約10年。仏教の視点からお悩み解消のヒントをご紹介できればと思います。
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