成功者の猿真似では成功しない理由をご存じですか?

公開日:
最新日:

こんにちは、暮らしを良くする研究家のこんぎつねです。
この前、「マンガ 世界の偉人伝」という本を読みました。
スティーブ・ジョブス、リンカーン、エジソンなど有名な10人の偉人の話がマンガでわかりやすく載っていました。(アンネ・フランクも載ってましたが、偉人なのでしょうか…?)

偉人やそこまではいかないにしろ、成功者の体験談を好んで読み、その真似をして同じ結果を得ようとする人は多いようです。
ネットの広告にも
「○○な私が○○をしただけで月収100万円に!」
「○○ビジネスの成功のカギは○○にあった!」
「成功者が語る。○○ビジネスで成功する方法」
という文言が並んでいます。
そしてそこをクリックするとたくさんの成功体験が紹介されています。
読んでいると自分もかんたhttps://www.kokoro-odayaka.jp/wp-admin/post.php?post=17268&action=edit&classic-editorんに成功できるように思えてきます。

何も考えずに真似することを猿真似と言いますが、果たして成功体験者の真似をするだけで本当に成功するのでしょうか。

因縁果(いんねんか)の道理

因果律とか因果の法則のような言葉を聞いたことがあるでしょうか。
お釈迦様は

「万物は因縁生なり」

「全ての結果は原因と縁とが結びついて生じるものである」
と教えられています。
とは原因を助けるもので、わかりやすく言うと環境のことです。
工場で製品を作るとき、同じ原料を同じように加工すれば同じ製品が出来上がるのと同じで、原因と縁が一緒なら出てくる結果も同じものです。
成功者の「成功」という結果にも必ず原因と縁があります。

このお釈迦様の言葉から考えると、同じ成功を得たければ同じ原因と環境を用意する必要がありますが、そのようなことはできるものではありません。
もちろん体験談を元にすれば0から原因と環境を自分で考えて生み出す必要はなく、楽に成功への原因と環境を知ることはできます。

しかし知識として知ることと経験することとは違います。
成功者は多くの失敗から得られた経験がありますが、その話を聞いただけの人にはそのような経験はありません。

ですから体験談と似たような行動をすれば自分も同じ結果が得られるということもありません。
同じ結果を得るためにはやはり同じような経験を積まなければなりませんし、周りの状況・環境によっても成功することもあれば失敗することもあります。

確かに成功者はそのやり方で成功したのでしょう。
しかしそれと全く同じ原因と環境を生み出すことはできないのです。

猿真似では成功しない

昔から猿真似は愚かな行為だとされていたようです。
故事成語に「顰に倣う(ひそみにならう)」という言葉があります。
意味は「身の程を知らずに猿真似をする」ということです。
この故事成語は次のような出来事から生まれました。

中国の春秋時代に呉(ご)という国と越(えつ)という国がありました。
呉と越はライバル同士で、お互いがお互いを滅ぼそうと争っていました。
そこで越の王である勾践(こうせん)は呉の王である夫差(ふさ)を惑わせるために絶世の美女であった西施(せいし)という女性を送り込みます。
夫差(ふさ)はその策略にハマって西施(せいし)に夢中になり、政治をほったらかして呉(ご)は衰え、ついに越(えつ)に滅ぼされてしまいます。

「顰に倣う(ひそみにならう)」は元は「西施の顰に倣う(せいしのひそみにならう)」という言葉で、「西施が顔をしかめるのを真似る」という意味です。
西施には持病の発作があり、発作が出たときに苦しくて顔をしかめたのですが、美人が顔をしかめているのを見ると普段より余計に美しく見えることがあります。

そこでその姿を見たとある女性が
「私も西施(せいし)みたいに顔をしかめれば美人に見えるんじゃないか」
と思って顔をしかめ始めました。
しかし残念ながらその女性の容姿は美人とはとても言い難かったので、しかめた顔を見た人たちは
「うわぁ…」
とドン引きしてしまいました。

このことから身の程知らずの猿真似をすることを「西施の顰に倣う(せいしのひそみにならう)」と言われるようになり、今は「顰に倣う(ひそみにならう)」という言葉になっています。
ただ現代の日本では意味が変わり、自分を謙遜して
「先輩の顰に倣わせてもらいますよ」(僕には先輩の猿真似しかできないですけどがんばります)
のように使われます。

ちょっとやれば自分も成功者と同じことができると思って猿真似をすれば、本来の意味での
「顰に倣う(ひそみにならう)」
となるかもしれません。

仏教で教えられる精進(しょうじん)とは

仏教では「精進(しょうじん)」という善が教えられています。
精進(しょうじん)とは精を出して進むということで努力をすることです。
その逆が「懈怠(けたい)」。怠けるという字が入っている通り努力を怠ることです。
お釈迦様は
努力をしないで結果だけを得ようとしても、いい結果は得られませんよ。いい結果が欲しければ努力をしないといけませんよ
と教えられています。

平凡な真理ですが、これを軽視して手っ取り早く成功した人の猿真似をしても努力をしなければうまくいきません。
これは体験談を知ってもムダ、ということではなく、大事な考え方や心がけを学ぶことはできます。

ですがただ真似をするだけでは成功できません。見習うべきは結果ではなく、結果に至るまでの努力です。
結果には原因と環境が必要と言っても、自分が原因を作らなければ、環境が整っても結果に結び付かないのです。

まとめ

成功者の体験談をただ真似てもうまくいきません。
それは成功者が成功した結果と同じ原因と縁は揃えられないからです。
努力する姿を見習って、同じような努力をするところから成功は生まれます。

しかし努力の方向を間違うと成功するまでに時間がかかったり、いつまでも成功に近づかなかったりします。

成功に向かうための効果的な学習についてこちらの記事で紹介しています。
一生懸命努力しても上達しないあなたへ|上達のための2つの時間

The following two tabs change content below.
Avatar photo

こんぎつね

チューリップ企画デジタルコンテンツ事業部にてサポートとインターネット業務にも携わっているこんぎつねです。(こんぎつねの記事一覧へ)チューリップ企画に来る前は愛知県で主に60代以上向けのイベントを運営していました。人について学ぶのが好きで、大学では生物学を専攻しました。よく読む本のジャンルは心理学、脳科学など人の心や体の行動に関するものが多いです。ブログもそれらの本を参考に、この悩みは 仏教ではこう解決するという内容を専門語を使わずになるべくわかりやすい言葉で発信することに心がけています。もっともっと多くの方の悩み疑問にお答えしたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
心が穏やかになった人へ
心が穏やかになった人へ

おすすめの記事