欲しいものが手に入ったのに満たされないのはなぜ?有っても無くても変わらないこと


いつもお読みいただきありがとうございます。
お悩み解消研究家のわかです。

子どもの頃、どうしても欲しいおもちゃがありました。
もしもそれが手に入ったらすごく大事にしよう、と思っていたのを覚えています。

そして誕生日、欲しかったおもちゃを買ってもらうことができました。
ところが、嬉しいには嬉しいものの、思っていたような喜びは得られなかったのです。
手に入ってみると、思っていたのとなんか違うな、というのが正直な感想でした。

欲しくてたまらないものだったのに、なぜそんな気持ちが起きたのでしょうか。

あこがれと実際は違う

思えば、あこがれていたものと実際経験したものが違うという経験は何度もありました。
むしろ、そんなことばかりだったかもしれません。

欲しかったゲームも楽しかったのは最初だけ。
先輩のようになるんだとあこがれていた部活動も、上級生になってみるとなんだか違う。
一生懸命頑張って手に入れたキャンパスライフも実際は味気ない。

はた目から見て思い描いていた世界と、実際手に入れたものの違いに戸惑うばかりでした。

物事には別の側面がある

私たちが何かを欲するとき、たいてい見えているのは良い面でしょう。
それで、手に入れたらどんなに幸せだろうと考えていますが、本当は見えていない別の面もあるのです。

下級生のときは、先輩に気を遣わなければいけなかったり、怒られたりして自由にできません。
だからこそ、早く学年が上がってのびのびと部活をしたいなと思います。

ところが、いざ上級生になると自由にいろいろできるものの、その分責任も増えます。
下級生に情けないところは見せられないので、技術をより向上しなければなりません。

一つのものを手に入れたからといって、幸せだけが手に入るとは限らないのです。

手に入っても入らなくても変わらないこと

お釈迦さまは、「有無同然(うむどうぜん)」と言われています。
これは、物があってもなくても、悩んでいることには変わりないということです。

私たちは、物が無い状態よりは断然有る状態の方が幸せだし、満たされると思っています。
しかし、物が手に入ったらそれによる悩みも出てくるもの。

宝くじが当選した人は親戚が増えると言われます。
どこから聞きつけるのか、大金を手に入れたとたんに、その分け前をもらおうと狙う人が現れるのです。

誰かに奪われてしまうかもしれない。
そんな不安を抱えて生活するのは、とても辛いことではないでしょうか。

手に入った後の悩みの方が大きくて、いっそのこと無いときの方が良かったと嘆いている人も多くあります。

喜べないのは心が暗いから

例えば、病気で寝込んでいるときは、どんなごちそうを並べられても美味しく食べられません。
しかし、健康で元気な状態ならば、どんな質素な食事でも美味しいでしょう。

ちょうどそのように、何を手に入れてもどこか満たされないのは、心が病気にかかっているからです。
その病気が治れば、たとえ何も持っていなくても、生きていること自体が喜びとなります。
たくさんのものを持っていれば、なおのこと喜べるようになるでしょう。

では、どうすればその病を治すことができるのか。
その方法を教えられたのがお釈迦様なのです。

まとめ

私たちは欲しいものが手に入ったら満たされるのではないかと思っています。
しかし、実際欲しいものが手に入っても、思うような喜びは得られないようです。

お釈迦さまは、物が有る時も無い時も悩んでいることに変わりはないと「有無同然」を教えられました。
私たちが満たされるかどうかは、物が有るかどうかではないのです。

ではどうすれば心が満たされるのか。
その方法を教えられたのが仏教ですので、ぜひ学んでみていただければと思います。

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わか

チューリップ企画コールセンターのわかと申します。 静岡の温暖な気候の中で育ったせいか、のんびりと構えていることが多く、周囲からはよく「いつも安定しているね」と言われます。 日常の様々な出来事を物語化することが好きです。学生時代、家ではほとんどの時間を机の前で過ごし、ノートに散文を書きためる日々を過ごしていました。そんな小さい頃からの癖で、日常の出来事を無意識に観察していることがあり、見ているうちに周囲の人間関係も客観的に把握することができるようになりました。 今まで見てきた人間関係、自分自身の悩んだ経験や、日々の電話応対の中でのお客様の声などを通して、皆様の悩みに寄り添える記事を書いていきたいと思います!
心が穏やかになった人へ
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