呼び名は変わっても体感時間は変わらない

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「生きる喜びをすべての人に」が理念であるチューリップ企画に3年前、入社した映画事業部のヒロカズです。亡くなった父の自宅介護をしてからはや1年が経とうとしています。時間は待ってはくれないのですね。。

人生80年と言っても体感時間は短い

私は今年で40歳を迎えました。生まれてから40年が経ちましたが、40年と言っても本当にあっという間でした。

「人生は片道切符の列車に乗っているようなものだ。年齢とともに列車のスピードは増していく。10代は各駅停車、20代は快速列車、30代は急行列車、40代は特急列車、50代は新幹線、60代はブレーキが利かない弾丸列車である」と学生時代に聞いたことがありましたが、40歳を迎え、その実感が少しずつ出てきた感じがします。

これからの40年はこれまでの40年より体感としてはずっとずっと短いのかもしれません。

一生過ぎやすし【蓮如上人(れんにょしょうにん)】

「一生過ぎやすし 今に至りて誰か百年の行体(ぎょうたい)を保つべきや」蓮如上人(れんにょしょうにん)

蓮如上人(れんにょしょうにん)の時代は人生50年の時代。当時100歳まで生きた人はいなかったから「誰か百年の行体(ぎょうたい)を保つべきや」という言葉が残されているのでしょう。

もし、私が蓮如上人(れんにょしょうにん)の時代に生きていたら、私はすでに晩年の年齢になると思います。晩年を迎え、生きてきた道を振り返った時、1日1日悔いのない日々だったかどうかは1日1日の選択の積み重ねによるのではないでしょうか?

現代の40歳は中年、蓮如上人(れんにょしょうにん)の時代は晩年、同じ年齢でも時代によって呼び名が変わりますが、変わらない事実は「一生過ぎやすし」という体感時間なのかもしれません

時間に限りがあると知るところから生き方が変わる

時間に限りがあるという自覚が生まれた時、初めて時間の使い方を真剣に考えるようになるのではないでしょうか?
私も31歳で肝炎で入院した時に強烈に時間は有限であること、有限である時間でできることは限られていることを自覚したことを思い出します。
そのとき、初めて何に時間を使ったら「しあわせ」なのかという選択への疑問が起きてきました。

今日1日どのように過ごしたら「しあわせ」なのか。
たとえば、休日になんとなく1日テレビを見て過ごしていた人は、その日1日、好きな人とデートしたり、友達と買い物に出かける機会を失っていることに目が向くようになるかもしれません。
もちろん、テレビを見て1日過ごすほうが「しあわせ」なのか好きな人とデートするのが「しあわせ」なのか、価値観は人それぞれですが、なんとなく1日を過ごして時間を失ってしまうのはあまりにももったいないと気づくようになるのではないでしょうか?

「あるうちは 当たり前と 思っているが 別れてみて 泣く時がある」

と言われますが、これは大事な物、大切な人だけではなく、一人一人に与えられた時間にも向けられた言葉なのでしょう。

まとめ

命とは私に与えられた時間であると言われます。時間を使うとは命を使うことであり、命を使って行うことを使命と言います。

限りある時間を尊厳無二(そんげんむに)な使命に活かすか殺すかは時間の有限性を知るところからはじまるのでしょう。

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ヒロ☆カズ

チューリップ企画のヒロ☆カズです。 31歳で肝臓の病気にかかり、2度の入院を経験しました。朝起きて仕事に行く。休日は友人と出かけるという当たり前の日常を失い、初めて、朝起きて仕事に行けることが当たり前でないことに気が付きました。 当たり前の1日がかけがえのない1日であることに気づけば、悩みが感謝の心へ変わるのかもしれません。闘病中に読んだ本や勇気をもらったさまざまな言葉からヒントを紹介したいと思います。
心が穏やかになった人へ
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