ずっと苦しいままでいいですか?|消し去れない怒りの心が穏やかになる仏教の言葉

こうへい

こんにちは。心の悩みサポーターのこうへいです。

「生きる喜びをすべての人に」が理念のチューリップ企画にやってきて、1年になろうとしています。
弊社発行の月刊誌『とどろき』を通して、多くの読者の方と接する機会があります。
「自分の心でも自分の思い通りにはならないものだ」と言われる方がありました。
その方にお話を伺うと「もう何十年も前に、ある人からひどいことを言われた。どれだけ忘れてしまおうと思っても時々思い出されてきて苦しむことがある」と言われていました。

読者のみなさんの感想でも同じようなことを言われている方がよくあります。
昔から、“言った方は無自覚でも言われた方は一生忘れられない”一言があると言われます。
ですから、
「あの一言が忘れられない」
「あの仕打ちが頭から離れない」
「乗り越えたはずなのに、怒りがまたよみがえってきた」
と、消し去れない怒りや憎しみの感情に人知れず苦しんでおられる方は多いのかもしれません。

目次

  • 怒りの心が軽くなる因果応報の教え
  • まとめ

怒りの心が軽くなる因果応報の教え

『とどろき』の平成29年6月号で紹介し、多くの反響があった言葉があります。

その言葉は、

謗るまじ たとえ咎ある 人なりと
我が過ちは それに勝れり

という言葉です。

この言葉にハッとさせられたという感想が多く寄せられました。
自分の言動を振り返り反省できる人は、本当に真面目で立派な人だと言われています。

私たちは、他人の言動はよく見えますが、自分の言動はなかなか冷静に振り返ることは少ないように思います。
自分の自覚のない所で、どれだけ他人を傷つけているか分かりません。
また、相手に直接言ったりやったりしなくても、陰で言ってしまったことがあったかもしれません。
口で言ったり体でやっていなくても、心で思ったことがあったかもしれません。
仏教に因果応報という言葉があります。
私にやってくるすべての結果は私のまいた因(たね)の結果だということです。
その因果関係は、ある人を叩いたらその人に叩き返された、ある人に悪口を言ったら悪口を言い返されたというような分かりやすいものばかりではないのだと教えられます。
私のまいたタネ(やった行い)が回りまわって、思わぬ形で私に返ってくることもあるのだと教えられます。

心と口や身体の関係についてはこちらの記事に書いてあります。
形式にこだわるより大切なことは心の在り方|【名言】魔女の宅急便

あの忘れられない一言も、深く傷つけられたあの仕打ちも、すべて私のまいたタネの結果ではないのかと感じられたならば、
「何であの人はあんなことを……」
「どうして自分ばかりが……」
という怒りや恨みの心はずっと軽くなるのではないでしょうか。

まとめ

1つの言葉や仕打ちに深く傷つけられ、怒りの心が抑えられずに苦しむことは誰もが経験することだと思います。
中にはその経験が忘れられなくなり、思い出しては怒りや恨みの心で苦しむこともあるでしょう。
そんなときは、因果応報の教えを思い出し、自分の言動を振り返る機会にしてみてはいかがでしょうか。

周りの人に腹が立ち、イライラしたときに知ってもらいたいことがこちらの記事にも書かれてあります。
これを知れば、相手に対する見方が変わるかもしれません。
相手にイライラした時に知っておきたい発想の転換

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こうへい

チューリップ企画で動画制作を担当しています。
大学生のときに同じことの繰り返しの毎日にどんな意味があるのかと悩みました。しかも友人に相談しても分かってくれる人がなかったことが大きな苦しみでした。
その時に読んだ仏典の言葉に励まされました。その後、講演会の運営の手伝いをする機会があり、さまざまな悩みを持って参加した多くの人たちの声を聞かせてもらいました。私も学びながら、皆さんの悩みに寄り添っていける情報を発信していけたらと思っています。
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