明日が来るのは当たり前?私たちの命の実態とは
先日、学生時代からの友人と会いました。
話したいことがあると連絡があり何かおめでたい話題かな、と思って行ったのですが、実は「最近、手術をした」とのこと。
しかも、癌の一歩手前の状態だったと言います。
まさか同い年の、しかも風邪もめったに引かない健康体の彼女が手術を受けるなんて。
病気や手術の話は30年も40年も先の話、と思っていた私は肝を冷やしました。
それは「明日も生きていられる」と強固に信じている現実は、都合のいい解釈でしかないのだと突き付けられたからです。
私たちは当たり前のように明日の予定を立てます。
明日だけでなく、1週間後、1か月後、そして来年はこうして・・・とずーっと先の予定や計画を思い描いています。
しかし現実は「明日は無かった」という日が必ず来るのです。
10月29日に韓国で150人以上の若者が亡くなる事件がありました。
ハロウィーンを楽しもうと遊びに来た人たちが狭い路地に集中し、雑踏事故に巻き込まれたのです。
死を「突然襲ってくる暴力」と例えた人がいますが、私たちの都合や予定などお構いなしにやって来るものなのだと感じました。
どんなに人やお金や健康に恵まれ、幸せに暮らしていても、死が来ればぐしゃりと握りつぶされてしまいます。
たとえ死が来ても壊れない幸せでないと、私たちは心の底から満足できないのだろうと思います。
その死が来ても壊れない幸せを「摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)」と仏教では教えられます。
仏教には心から満足できる幸せが教えられているので、ぜひ学んでいただきたいと思います。
九条えみ
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