ジブリ『君たちはどう生きるか』を宮﨑監督の人生と重ねて考察|どう生きるとなぜ生きる
宮﨑駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』を観てきました。
タイトルが「君たちはどう生きるか」なので、「生きる」という言葉が沢山出てきたり、生きることへの葛藤や意味を問うシーンが中心かなと予想していたのですが、そんな分かりやすい表現で生きるを問う作品ではありませんでした。
82歳の監督が10年の年月をかけて今作を生み出した“作品作りそのもの”を通して、「宮﨑駿は映画に全生命をかけてきた。その集大成を今観てもらった。さあ、君たちはどう生きるか」と突きつけられたようでした。
宮﨑監督のこだわりは、映画に憑りつかれていると言えるほどです。
アニメーターが描いてきた作画にダメ出ししながら、自分で描き直す。
動きで感情を表現するジブリ作品は、ただ動かすだけではダメ。
キャラクターの心情をリアルよりもリアルに描くため、5分のシーンを1か月かけて制作するのだそう。
結局、
趣味持ってる奴は駄目ですね。全部アニメーションに
吸い取られてしまった人間でないと。
ぼくには、
鉛筆と紙があればいい。
「父親としては失格」とご自身が言われるほど、朝も昼も夜も制作現場にこもってひたすらペンを走らせていたのです。
『君たちはどう生きるか』が奥深い作品だと私が思うのは、1つの作品で表裏2つのストーリーが展開していると感じたからです。
表は、主人公たちの物語そのもの。観れば「あぁ、こういう結末なのね」と分かります。
裏は、宮﨑駿監督の人生を描いた作品だということ。こちらはキャラクターのモチーフは誰か。描かれているものは、何を喩えているのか。アート作品のように受け手が考えないと見えてきません。
監督自身をモチーフにしたと思われるキャラクターが、理想の世界を作るために奮闘するのですが、結局うまくいかず世界は崩壊してしまいます。
「理想の世界=スタジオジブリ」と見ると、子どもたちに感動を伝える作品作りにこだわった監督の生きざま、そしてアニメーターの賃金向上のためにジブリを創立したものの後継者を作れず、資金繰りに苦心されることと一致するように感じました。
達人といわれる人ほど、道を極める困難さを痛感すると聞きますが、監督の人生を通して「道を求めても求め終わった。満足したということはない。死ぬまで求道だなぁ」と感じずにおれませんでした。
もちろん、ジブリ作品の芸術性や奥深さが好きで、尊敬しています。
が、監督自身も、理想を追い求めて心身打ち込んでも、理想の世界=スタジオジブリは崩壊してしまいます。
そして「新しい気持ちで一からから再スタートだ」という意気込みが、主人公の牧 眞人(まき まひと)の読み方を変えると「ボク シンジン」となることや、今作から「宮崎駿」監督の「崎」が「﨑」に変わって名前を新しくしたことから伺えます。
求めても求めても、求まったということが無い現実世界。
その中で、最初から人生諦めるのか、監督のように新しい求め方を模索して進み続けるのか。
「さあ、君たちはどう生きるか」
監督が私たち一人一人に生き方を問うている作品だと感じました。
どう生きるかを考えることは大事なことです。
しかし、もっと大事なことがあるのでは、と問いかけているのが浄土真宗の祖師・親鸞聖人(しんらんしょうにん)という方です。
どう生きるかも大切だが、なぜ生きるかはもっと大事だとは、思われませんか。どう歩くかよりもなぜ歩くかが、もっと大事ではありますまいか。
皆どう生きるかには一生懸命だが、なぜ生きるかを知りませぬ。それだけ皆、一生懸命生きるのはなぜか。それこそ最も大事ではなかろうか。
「どう生きるか」は手段です。
「なぜ生きるか」は目的です。
目的を果たすためにあるのが手段。
ならば、手段の前にまず考えねばならないのは目的ではないでしょうか。
目的地が決まってこそ、徒歩か、車か、電車か、飛行機か…と交通手段が決まるようなものです。
「どう生きるか」と「なぜ生きるか」について、詳しくはこちらの記事をご覧ください。
九条えみ
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