「人生を変えたい」と思った時にまず大切なこととは
こんにちは、みさきです。
この夏、ドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』がネット上で盛り上がっていました。
ドラマは、ある年の卒業式に教師が担当の生徒の誰かに殺される瞬間に、始業式にタイムリープするところから始まります。
生徒の言動を見て見ぬふりして過ごしていた教師が、卒業式に自分が死ぬ未来を変えたいと、1年前に戻り、生徒と本気で向き合うことで、自分を殺そうとした生徒を探します。
死を覚悟して、真剣に生徒と対話をする教師に、多くの人に感動が届いたのでしょうね。
無常を観ずるは菩提心の一なり
仏教の言葉に「無常を観(かん)ずるは菩提心の一(はじめ)なり」という言葉があります。
「無常を観ずる」とは「死を見つめる」ということ、
「菩提心」とは、本当の幸せになりたいという心のことです。
お釈迦さまは、死をまじめに考えることは、いたずらに暗く沈むことではなく、今の人生を日輪よりも明るくする第一歩であると教えられています。
仏教では、なぜ「死を見つめる」「死を考える」ことが幸せのはじまりだと教えられているのか、それは仏教で教えられている「『死』とは何か」を知るとわかってきます。
「死」は私たちにとって唯一確実な未来
「死」は私たちにとって100%確実な未来です。
科学や医学の進歩により、人生100年時代と言われていますが、たとえ100歳まで生きることができたとしても、死ななくなったわけではありません。すべての人が「いつかは最期を迎える日がくる」という未来は、古代から現代まで変わっていません。
仏教で「死を考える」ことが大事であると強調されている理由の一つは、私たちにとって「死」は唯一確実な未来だからです。
「死」は日常の思わぬところに潜んでいる
自分の一生の終え方は自分で選びたいものですが、突然やってくるのが死です。
仏教に「老少不定」という言葉があります。
「老少不定」(ろうしょうふじょう)とは、老いも若きも定まらず、ということで、老いた人が先に死に、若い人が後になるとは決まっていない、という意味です。
死ぬのは老いた人からとは限りません。
死ぬ順番と年齢は明確ではありません。
私たちは健康なときは、平均寿命までは生きるつもりでいて、現在が30才ならあと50年はあると思っています。
しかしそれはあてになるでしょうか。
「老少不定」であることは毎日のニュースからも知らされます。
震災、交通事故、通り魔、病気・・・・・・
若い人でも、突然「死」が迫ってきて、人生を一変させられてしまうことがあります。
普段は死はまだ先の向こう側にあると思っていますが、実は日常の中に潜んでいて、突然やってくるかもしれないのです。
ドラマの中ではタイムリープがあり、死の覚悟を持って、自分の人生を必死に生き直すことができましたが、現実の人生は、生まれてから死ぬまでの一方通行なんですよね。
自分の人生をどう生きようかと悩んでいるのに死を考えるなんて、と思う方もあるかもしれません。
「人生を変えたい」と思った時に、大切な視点は「自分の死」を見つめること。
「自分の死」を考えることこそが「人生を変える」スタート地点なのです。
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みさき
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