「居場所がない」という人はぜひ知って|「幸せ」と「孤独」の深い関係
こんにちは。みさきです。
SNS上では「自分の居場所」がないという嘆きの声をよく見聞きします。
「自分だけクラスに居場所がないです」
「家に居場所がなく、毎日帰りたくない気持ちでいっぱいです」
「がんばっても自分の居場所が見つかりません」
「定年退職で一日中家にいますが、家族に疎んじられて居場所がありません」
「私には居場所がないんです」
こんな悩みが増えています。
ではこんな「居場所がない」心をどうしたらいいのでしょうか。
仏教の智恵を紹介いたします。
「居場所がない」とはどんな状態か
ある30代の女性は、ご主人の転勤で名古屋から栃木県に引越してから2年間「自己否定のかたまりだった」と語りました。
栃木県には親戚も知り合いもなく、夫しか話す人がいない。
その夫は引っ越してすぐ仕事が忙しく、帰宅しても、ゆっくり話すこともできない。
しばらくして小学校に勤め始めたものの、同僚は地元出身の人ばかりで馴染めず、職場でも孤独。
誰にも自分の寂しさを分かってもらえない。
しだいに自分は必要とされていないように感じ、自分の存在理由が分からなくなり、精神的に不安定になっていったのです。
このように誰からも必要とされず、他人とのつながりを感じられなくなり、周り中が敵にも見えてくる、それが「居場所がない」状態です。
ではそんな孤独を脱して「自分の居場所」を見つけて心穏やかに過ごすには、どうしたらいいのでしょうか。
それにはまず「自分の孤独」と向き合うことが大事だと仏教は教えます。
「自分の居場所」を見つけるには|「幸せ」と「孤独」の関係
仏教を説かれたお釈迦様は、人生は生まれてから死ぬまで、独りぼっちの旅のようなものだと説かれています。
独生独死独去独来(どくしょう・どくし・どっこ・どくらい)
(独り生まれ 独り死す、独り来たりて 独り去る)
家族や友だち、仕事仲間など、恵まれていると思える人でも、お釈迦様は「独りぼっち」と教えられています。
それは「肉体の連れはあっても、心の連れはない」からなのです。
「心の連れがない」とは「お互いに心は分かり合えない」ということです。
不登校を経験したある男性は、学校でのいじめと同時にとても辛かったのは、親や親戚に自分の本心を分かってもらえなかったことだと言っていました。
「学校に行けない自分はダメな子、と常に責められているようだった。あの時、学校へ行けるようになる解決方法よりも、学校へ行くのが辛い気持ちをただ「辛いんだね」と分かってほしかった」
心からわかり合える、心の連れがいないと、どこまでも寂しいのが人間なのです。
むしろ肉体上の連れがいるほど心の孤独が浮き彫りになり、寂しくなるものです。
それを哲学者の三木清は「山の中の孤独より、町の中の孤独の方がもっと深い」と言いました。
親子であっても、夫婦であっても、お互いに分かりあえない。
分かり合っているというのも、お互いの一部分にすぎません。
お互いの全ては分かり合えないので、心の連れがなく、底知れぬほど寂しいのが人生だとお釈迦様は言われたのです。
こう聞くと、仏教は悲観的だと思われる方もあるかもしれませんが、みんな孤独なんだと知るだけでも不思議と心は軽くなります。
お互い分かり合えない者同士だと分かると、何とか相手のことを理解しようと、相手の心に寄り添う気持ちが出てきて、人とのつながりができます。
「孤独」を知ることは、実は幸せへの第一歩なのです。
また仏教では、自分の居場所が分からず、底知れぬほど寂しい人生を過ごす私たちに、本当の心の幸せとは何か、そして本当の幸せになる方法が教えられています。
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あなたの悩みが少しでも軽くなり、心穏やかに過ごせますように
みさき
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