「いわんや悪人をや」の一文にみる「猫に小判」「豚に真珠」の気持ち

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心穏やかアドバイザーのヒロカズです。
今日は同じものを見たり、聞いたりしても
受け止め方はそれぞれ違うことについて考えてみたいと思います。

シャベルとスコップの違い

ある研修に参加していたとき「シャベルとスコップはどちらが大きいものを指しますか?」という問いかけがありました。
当然スコップが大きいものだと私は思っていましたが、辞書によると足をかける部分があるものをシャベル、ないものをスコップというそうです。

研修後、同じ石川県出身の同僚と話をしていた時、石川県ではシャベルは小さいもの、スコップは大きいものを指すことは共通の認識でした。
その同僚はずっと重機の「パワーショベル」をどうして「パワースコップ」と言わないのか?「スコップケーキ」や「スコップアイス」をどうして「シャベルケーキ」や「シャベルアイス」と言わないのか疑問に思っていたそうです。
何を指す言葉なのかはその人の生まれや育ちによって違うことがあります。

「猫に小判」「豚に真珠」

「この玉の色を見分けた者には褒美をあげよう」
乙姫さんが魚たちに尋ねると、黒鯛(くろだい)は「黒です」。
鯖(さば)は「青色」、カレイは「薄茶色」と、みんな答えが異なりました。
「どれが本当の色ですか」「玉は無色透明、皆さんの色が映っただけです」と乙姫さんは笑ったと言います。。
同じものをみても黒鯛は黒鯛として、鯖は鯖として、カレイはカレイとして生まれ、生きてきたことを通してしか認識できないのでしょう。

生まれてから一度もベンツを見たことがない、密林奥地の原住民にベンツをプレゼントしたとき、原住民はベンツが乗り物だと理解して使用することができるでしょうか?
ドアを開けると空間があって、雨が降っても中が濡れない鉄の箱だと理解したら、ベンツを物置として使用するかもしれません。

目の前にあるものが何かを認識するとき、私達は何に使用するものかという自身の行いを通して認識しています。
ベンツを乗る行為を行うものと理解すれば、移動手段として使用し、ベンツを物を置く行為を行なうものと理解すれば、物置として使用するのでしょう。

自身の行為を通してそのものの価値を理解しているとすれば、その人の行為によって物の価値が左右されているということになります。

本来はものすごく価値があるものでも価値がないように感じたり、本来価値がないものであってもものすごく大切に思ったりするのはその人の行為を通して認識しているからではないでしょうか?

どのような行為を行うかはその人の生まれや育ち、生きてきた環境、考え方などに影響を受けます。
本当はものすごく価値があるものであっても、これまでの行為によって「猫に小判」「豚に真珠」で価値がわからないものが世の中には多いのかもしれません。

「善人なおもって往生(おうじょう)を遂ぐ いわんや悪人をや」と『歎異抄』

高校時代、日本史の資料集で鎌倉新仏教について学ぶ機会がありました。
鎌倉新仏教とは鎌倉時代にこれまでの仏教の宗派とは違う宗派が立ち上がったということで鎌倉新仏教と言われると当時の資料集に書いてありましたが、その資料集には6人の僧侶とその著書が紹介されていました。

その中に「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」の一節とともに『歎異抄』が紹介されていました。
これは「悪人正機」と言われる有名な『歎異抄』の一節です。
「いわんや悪人をや」を現代語訳すると「まして悪人はなおさら往生できる」という驚く内容になります。

高校当時、悪いことをした人ほど助かるなんてちょっと変わった文章だと思いましたが、「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」の一節は忘れることができない一文としてずっと心に残っていました。
今思えば、それだけ強烈だったのでしょう。
しかし、この『歎異抄』の一節「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」の意味は、高校当時思っていた意味とは天と地ほどまったく違うということは仏教を学ぶことによって初めて知らされたことだったのです。

「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」の有名な一節には私の経験では推し測ることができない仏意(ぶつい)が記されています。
まさに「猫に小判」「豚に真珠」で本当はものすごく価値があるものであっても、なかなか価値がわからない一節が「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」の一節だったと知らされた驚きは快晴の空から雪が降ってくる以上のものでした。

まとめ

最後に「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」の一節をもっと知りたい方には以下を紹介します。

「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」の意味

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ヒロ☆カズ

チューリップ企画のヒロ☆カズです。 31歳で肝臓の病気にかかり、2度の入院を経験しました。朝起きて仕事に行く。休日は友人と出かけるという当たり前の日常を失い、初めて、朝起きて仕事に行けることが当たり前でないことに気が付きました。 当たり前の1日がかけがえのない1日であることに気づけば、悩みが感謝の心へ変わるのかもしれません。闘病中に読んだ本や勇気をもらったさまざまな言葉からヒントを紹介したいと思います。
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