子供を亡くした悲しみを抱える人へ蓮如上人が書かれたお手紙

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心穏やかアドバイザーのヒロカズです。
2人の知り合いから祖母が亡くなったということを同じ日に聞きました。
亡くなった人のことを聞くと暗い気持ちになるのは自身の死を予感するからかもしれません。お悔やみ申し上げます。

子供を亡くした人の悲しみに触れて

身近な人が亡くなっていくととても悲しい気持ちになります。
なかでも子供を亡くした人の悲しみは計り知れないものがあるのでしょう。
私の母も私が生まれる前に子供を亡くしたことを語っていたことがあります。
結婚後、まもなく受胎したそうですが、その後、流産。
男の子だったそうです。

母はずっと子供を亡くしたことを気にしていました。
癌にかかり、闘病していた時、怪しい祈祷師から、「亡くなった子供の霊が憑いているから、病気になった。供養していないからだ」と脅され、高額な祈祷料を払ったようです。
亡くなった人が生きている人をどうこうすることはできるはずがありませんが、中学生だった私には、そのことがまだよくわからなかったので無言で聞いているしかありませんでした。

子供を亡くした母親の悲しみに付け込んだ悪質な祈祷だったと知ったのは仏教を聞くようになってからです。
母から流産した子供の話を聞いたのは、中学時代、祈祷の話があった時に一度だけでしたが、目に涙を浮かべ、とても悲しい顔をしていたことを今も思い出します。

子供を亡くした人の悲しみは何十年経っても癒えることがないのかもしれません。

子供を亡くした人へ書かれたお手紙

蓮如上人(れんにょしょうにん)に白骨の章(はっこつのしょう)という有名なお手紙があります。
これは子供を亡くした人が蓮如上人にお願いして書いてもらった手紙だと言われています。
どのようなことがあったのか記したいと思います。

蓮如上人の時代、山科本願寺の近くに青木民部(あおきみんぶ)という蓮如上人を信奉していた下級武士がいました。
その娘の清女は17歳。
有力な武家から縁談が持ちかけられ、挙式は8月11日と決まったのです。
ところが、民部は下級武士の為、娘の挙式に合わせて嫁入り道具をそろえてやることができません。
そこで、民部は先祖伝来の武具を売り払い、娘の挙式に臨むことにしたのです。
今日でいえば、商売道具を売り払って娘の嫁入り道具をそろえたということでしょう。
それほど、大事にしていた娘だったのです。
ところが、挙式の当日、急に苦しみ出した清女はそのまま帰らぬ人となってしまいました。
挙式の喜びが葬儀の悲しみへと転落してしまったのです。
夜のうちに葬式を済ませ、翌12日に骨を拾って帰った民部は「これが、待ちに待った娘の嫁入り姿か……お、おおお……」と嘆き悲しみ、そのまま、51歳で息絶えてしまいました。
あとに一人残された民部の妻は、ただ悲嘆に暮れていましたが、翌13日にこれまた37歳の若さで愁(うれ)い死にしてしまったのです。
青木家の不幸を聞かれた蓮如上人(れんにょしょうにん)は大変哀れに思われ、落涙されること、しばしであったと言われています。
ところが、続いて8月15日に海老名五郎左衛門(えびなごろうざえもん)の17歳の娘が急死したという知らせが入りました。
海老名五郎左衛門とは山科本願寺の土地を寄進した人です。
亡くなった当日は家族で行楽地へ出かけることになっていました。
海老名五郎左衛門の娘は朝早くから髪を結い、美しく化粧をしていました。
いよいよ出発ということで大勢の供を連れて門前に出たところ、急に苦しみ、あっという間に亡くなってしまいました。
葬儀を済ませ、8月17日に蓮如上人のもとを訪れた海老名五郎左衛門が世の無常を表すお手紙を蓮如上人にお願いしたことで書かれたのが白骨の章だと言われています。
子供を亡くした人の悲しみは命を失ってしまうほどのものだったのですから、親が子に注ぐ愛情は命がけなのでしょう。
子供を亡くした人である海老名五郎左衛門に書かれたお手紙が白骨の章です。
白骨の章には子供を亡くした人への悲しみの処方箋が書かれているに違いありません。
白骨の章とはどのような手紙だったのでしょう。

 それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(すがた)をつらつら観ずるに、凡(おおよ)そはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)、幻の如くなる一期(いちご)なり。
されば未だ万歳(まんざい)の人身(じんしん)を受けたりという事を聞かず。
一生過ぎ易し。
今に至りて、誰か百年の形体(ぎょうたい)を保つべきや。
我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本(もと)の雫(しずく)・末(すえ)の露(つゆ)よりも繁(しげ)しといえり。
されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。
既に無常の風来(きた)りぬれば、すなわち二(ふたつ)の眼(まなこ)たちまちに閉じ、一(ひとつ)の息ながく絶えぬれば、紅顔(こうがん)むなしく変じて桃李(とうり)の装(よそおい)を失いぬるときは、六親(ろくしん)・眷属(けんぞく)集りて歎(なげ)き悲しめども、更にその甲斐(かい)あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半(よわ)の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は老少不定(ろうしょうふじょう)のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。

まとめ

蓮如上人の書かれたお手紙の真意を知れば、子供を亡くした人の悲しみが癒され、幸せな人生の一歩を踏み出すに違いありません。
蓮如上人のお手紙を通して私の母のような悲劇が一人でもなくなることを願いつつ。。。

(関連)子供を亡くした悲しみを抱える人にお釈迦さまのなされた処方とは

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ヒロ☆カズ

チューリップ企画のヒロ☆カズです。 31歳で肝臓の病気にかかり、2度の入院を経験しました。朝起きて仕事に行く。休日は友人と出かけるという当たり前の日常を失い、初めて、朝起きて仕事に行けることが当たり前でないことに気が付きました。 当たり前の1日がかけがえのない1日であることに気づけば、悩みが感謝の心へ変わるのかもしれません。闘病中に読んだ本や勇気をもらったさまざまな言葉からヒントを紹介したいと思います。
心が穏やかになった人へ
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