一生に一度なのはプロポーズだけではない

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心穏やかアドバイザーのヒロカズです。

知り合いから日本では新築で家を建てても26年でガタがきてしまう話を聞きました。
一生に一度の買い物と言われる家が26年でダメになってくるのは残念な気がします。

今日は一生に一度のことについて考えてみたいと思います。

と言えば

一生に一度の言葉と言えば、プロポーズ。
一生に一度の買い物と言えば、一戸建て。
一生に一度の出会いと言えば、人生の師と言われます。

「一生に一度のお願いです」と言われるとお金の無心が多いのですが、ここぞという時に「一生に一度」ということを聞くことが多いのではないでしょうか?

一生に一度ということは最初で最後ということであり、後にも先にもないということです。

確かに目の前にいる人へのプロポーズや一戸建てを購入するのは生涯あっても一度の人が多いでしょう。

しかし、一生に一度なのは、プロポーズや一戸建ての購入だけではありません。

私達は一生に一度の日々を過ごしている

私たちの肉体は約60兆の細胞からできていると言われ、絶えず新陳代謝しています。
日々、新陳代謝を繰り返し、変わっているのが肉体ということでしょう。

精神面から言っても昨日と今日、同じ気持ちで過ごしている人はどれだけあるでしょう。

心はコロコロ変わり通しで、一時もとどまっていないのが実態ではないでしょうか?

肉体的にも精神的にも昨日の自分と今日の自分は明らかに違っています。

それどころか1時間前の自分と1時間後の自分、1分前の自分と1分後の自分、1秒前の自分と1秒後の自分もまったく同じではないのが実際のところなのでしょう。

昨日と同じように「おはよう」と言葉を交わした家族への挨拶は、厳密にいえば、昨日と同じではないのです。

一生に一度とは今この時、この瞬間を表しています。

『歎異抄』(たんにしょう)の言葉

有名な古典『歎異抄』の中に

人の命は、出(い)ずる息、入る息を待たずして終わることなれば

とあります。

吐いた息が吸えなければ、吸った息が吐けなければ、その時、命が終わり、人生の幕が閉じられます。

しかもいつ人生の幕引きが行われるか誰も予想ができません。

朝、元気に行ってきますと出て行った人が、夕方はひとつまみの白骨となって帰ってくるのが人間です。

しかも、年老いた人から順番に人生の幕が閉じられていくのではありません。

すべての人は今この瞬間、一生に一度の時間を過ごしているのです。

一生に一度を知るところから始まる

一生に一度とは出会いや買い物だけでなく、人生そのものを表しているのでしょう。

人生はゲームのようだという人がありますが、ゲームにはリセットボタンがあり、再び同じゲームを繰り返すことができます。

しかし、人生にはリセットボタンがありません。
同じ日々を繰り返すことはできないのです。

一生に一度の積み重ねが人生と知れば、今の一瞬、一瞬を何に使うか真剣に自己に問いたださずにおれなくなってくるのではないでしょうか?

一生に一度が人生の実態と知るところから、真に求めるべき人生が始まります。

▼こちらの記事もご覧ください。

終わりを見つめると人生はもっと楽しくなる|学校では教えてくれない大切なこと

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ヒロ☆カズ

チューリップ企画のヒロ☆カズです。 31歳で肝臓の病気にかかり、2度の入院を経験しました。朝起きて仕事に行く。休日は友人と出かけるという当たり前の日常を失い、初めて、朝起きて仕事に行けることが当たり前でないことに気が付きました。 当たり前の1日がかけがえのない1日であることに気づけば、悩みが感謝の心へ変わるのかもしれません。闘病中に読んだ本や勇気をもらったさまざまな言葉からヒントを紹介したいと思います。
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